ここからの指し回しが実に秀逸だった。馬は一歩一歩、銀のように着実に前進し、竜は横に一歩ずつサイドステップする。角や桂の飛び道具を操るいつものスタイルとは違う。大駒を金銀のように使い、歩の小技を駆使する。
危険を顧みず距離を詰めてラッシュするインファイトから、小刻みにポイントを稼ぐアウトボクシングに戦い方を変えている。馬が押し上がるごとに、竜がステップを踏むたびに、菅井の守りの金が右往左往し、押し込まれていくことになる。ボクシングでコーナーに追い詰められているみたいにだ。
「将棋教室では、大駒は大きく使えと教えているんですけどねえ」と戸辺が苦笑し、控室の棋士全員が、「こんな指し回しもできるんですね」と感嘆しきりだった。まるで大山康晴十五世名人のようだ。
相手を追い込み心を折る棋士
私は先述の書籍『勝ち続ける理由』の中で、《藤井将棋はどこから弾が飛んでくるかわからない。相手は一手一手に神経を使いすぎ、脳も疲労し、体力が削られ、エネルギーが尽きて、最後にミスしてしまう。そんな精神状態にまで追い込み、相手の自滅を誘うほど考えさせる棋士は、大山康晴十五世名人と羽生と、そして藤井だけであろう》と書いた。
この番勝負、藤井は3局すべてで、大山得意のと金攻めをした。第2局では菅井自身が「なぜ桂を跳ねたか自分でもわからない」と語るほどの、信じられない失着を指してしまっている。本シリーズの内容は、相手を追い込み心を折る大山の勝ち方そのものだ。
大山と藤井の類似点について中村に尋ねると、懐かしそうに大山との戦いを振り返った。
「大山先生ははたから観ているとわからないんですが、実際に対局して盤の前に座っているとものすごい重圧を感じるんです。なにか、すべて受け切られてしまうんではないかという。
で、話は変わるんですが、私は負けても感想戦で相手より読んでいたら納得する、前向きになれるんです。負けたけれども、読み負けてはいなかったと。
ところが藤井さんは感想戦でもすごい読み筋を披露して相手を読み負かしてしまう。もちろん本人は威圧したり負かしたいなんてことはまったく考えておらず、ただただ感想戦は楽しいなと、自然に話しているだけなんでしょうが(笑)。しかし、それは相手にとっては重圧になるでしょうね。そういう意味では藤井さんと戦う相手はすごいプレッシャーを受けているでしょう」