住宅地の進出と工場の移転、跡地には“日本一のタワマン”ができて…

 ともあれ、1960年代までは工業都市としてイケイケだった川口の町。ところが、東京の人口が増えて荒川を渡った川口市内にも住宅地が生まれてゆくと、川口の工場は“公害”の対象になってしまう。

 そのため、60年代中ごろからは工場の計画的移転が進んでゆき、その跡地が次々と住宅地に変わっていった。そうした流れはその後も一貫して変わらず、90年代後半からはタワーマンションが登場する。1998年には日本ピストンリングの工場跡地にエルザタワー55という当時日本一のタワマンができている。エルザタワーはいまも埼玉県でいちばん高いビルだ。

 こうして川口は、60年代から少しずつ性質を変えて、工業都市からベッドタウンになっていった。武蔵小杉はつい最近になってようやく工業地帯からタワマンエリアに変貌したが、川口はそれよりはるか前から似たような動きがあったというわけだ。

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「線路を跨ぐ橋から商業施設のアリオが見える。これはサッポロビールの工場跡地だ」

 ただ、まったく鋳物工場が消えたわけではなく、住宅地の中を歩いていると突然工場が現れたりする。工場の塀には「準工業地帯なので多少の騒音や振動はありますよ」といった注意書きがあった。

 

 もともとは工場の方が先にあって操業を続けてきて、そこに新たに住宅が現れたという歴史を考えれば、とうぜんの注意書きといっていい。その小さな工場のすぐ近くにタワマンが建つ。この独特な景観は、川口ならではなのである。

 

 川口駅前に戻る。川口駅の西口は、ペデストリアンデッキ直結の大きな公園になっている。燃料研究所を引き継いだ公害資源研究所の跡地を再開発したものだ。線路を跨ぐ跨線橋から北を見れば、商業施設のアリオが見える。これはサッポロビールの工場跡地だ。あちこちに、工場やそれに類するものの跡地を活用した施設がある。

 
 
 

 小さな工場の脇にタワマンが建つ。新しいマンションの近くに昔ながらの商店や低層住宅が並ぶ。荒川の東京側から見た川口は、ただのタワマンゾーンに見える。しかし、足元に行けば一面的ではない複雑な町の歩みが反映された町並みが広がっているのである。

写真=鼠入昌史

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