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他人の不機嫌はあなたのせいではない…「何かしてしまったのかも」と不安になりがちな人が抱えている"認知のゆがみ"

source : 提携メディア

genre : ライフ, ヘルス, 社会

note

また、ゼロヒャク思考が他人に向けられると、人の小さなミスが許せず、厳しい対応をとってしまうことにもつながります。

さらに、すべてが白か黒にはっきり分けられるものだと思い込んでいると、「ワクチンは効くのか効かないのかはっきりさせて!」といった態度をとるようになってしまうのも大きな問題だと思います。

本来、「こういう人にはどれだけの効果の可能性が認められていて、一方でこういう人にはこんなリスクがどれだけの確率で予想されている」といったさまざまな要素がグラデーションで存在するのが現実であり、「必ず白か黒で分けられるはず」というのは、現実をゆがめて見ている幻想なのです。

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「資料の作成ミスをした…私は無能だ」

・過度な一般化

たった一つの出来事から、すべてのケースにおいてそうだと思いこみ、結論づけてしまうディストーションです。

仕事で資料の作成ミスをしたときに、落ち込むあまり、「自分は何一つ仕事ができない」と自己嫌悪に陥ることがあるかもしれません。でも実際には、たとえ資料の作成が苦手なのだとしても、その他の仕事の得手不得手とはまったく関係ありません。それどころか、実際にある現実は、ただその資料の作成において一度ミスをしたというだけで、資料作成が苦手というものでもないはず。これが「過度な一般化」の罠です。

別の例をあげれば、仕事の面接に落ちたという一例を根拠に、「私は面接というものには受からないんだ」と一般論のような結論づけはできないはずなのに、私たちは、たびたびこうした思考に陥ってしまいます。

たった一回だけ自分に起きた不幸が、この先もずっと繰り返されるように、あるいは別のケースでも起こるように思いこんでしまうのです。過度な一般化はモチベーションを下げ、自身の可能性が最大限に発揮できないように自らを制御してしまいます。

もう少し広い視点で見てみると、いま世界のあらゆるところで起こっていることですが、ある時に一人のアジア人から嫌なことをされたという経験だけを根拠として、「アジア人は全員が嫌なやつだ、アジア人が憎い」と結論づけたりするのも、「過度な一般化」の危険な一例です。