『母の最終講義』(最相葉月 著)ミシマ社 

 ある特殊な感覚の謎を探る『絶対音感』や、心の治療のあり方に迫る『セラピスト』、日本に暮らすキリスト者に取材し信仰とは何かを問う『証し』など、幅広い題材のノンフィクションを著してきた最相葉月さん。デビュー30周年記念として編まれたのがエッセイ集『母の最終講義』だ。

 最相さんが20代の頃に若年性認知症になった母が、コロナ下に亡くなった。その母の介護をめぐる章が表題となっている。

「私のノンフィクションはほとんどが書き下ろしなんです。ライターの仕事を始める前から母の介護をしていたのでそうせざるを得なかったのですが、書き下ろしはいつ本になるかわかりませんし、時間もかかります。なので、定期的にエッセイのお仕事をいただけるのは、自分がライターであると確認する機会になって、とてもありがたかったですね。両方の仕事があって、書き手としての自分がありました」

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 介護は「母が私に与えた最後の教育ではないか」と思うようになったと心境の変化を綴る一篇がある。

「そう思うようになったのはキリスト教の取材をしていた時なんです。信者の方にお話を伺うと、神様とは仰らなくても、何かによって自分が生かされたという方が何人もいらっしゃって。そういう話を聞いているうちに影響を受けて、私にとって、介護の時間は意味があることなんだと受けとめられるようになりました。母との時間にも、介護のプロの方たちの振る舞いや介護技術にも、たくさん学ぶことがありました」

「相対音感」や「人生相談回答者」などは、最相さんの読者なら惹かれずにはいられない章タイトルだ。エッセイからは、最相さんがこれまで扱ってきた様々なテーマがつながりを持って広がっていることがわかる。

最相葉月さん

「若年性認知症の母を介護することは、普通にコミュニケーションができない人とどうやって日常を生きるかということでした。『セラピスト』の執筆を通じて精神医学や脳科学を学んだことは母を理解する一助となりました。そして、その取材をする中で、カウンセリングがキリスト教の告解や牧会カウンセリングといったものから宗教色を脱色して生まれた、心を癒すためのある種のテクニックだということも分かってきて、次のテーマはキリスト教だと思ったんです」

 かつて映画会社で助監督を務めた父の闘病や、取材旅行先でのエピソード、新聞で人生相談の回答者を務めて思うこと。実家整理の愚痴から、日々のニュースに触れてめぐらされる思索まで。ノンフィクション作品では抑制されている部分に触れられるのも、このエッセイの醍醐味だ。

「一流のスポーツ選手やアーティストの話を伺うことは、自分は何者でもないと痛感することの繰り返しです。そんな貴重な内容を、書き手の“私”を出すことで私の見たもの聞いたものに限定してしまうのは読者に対して失礼なので、ノンフィクションを書く際は、私はある種の裏方となって聞き役に徹するようにしています。一方でエッセイは、依頼の際にテーマが設けられていることも多いので、そうすると私の場合は介護の話などが多くなるわけです。ここに収められたエッセイは、依頼のおかげで書けたものですね」

 もともと本にする予定もなく書いていたというが、

「こうやって1冊にまとまってみると、これまで自分1人だけで頑張ってきたように思っていたけど、決してそうではなかったと気づくきっかけをくれる本になりました」

さいしょうはづき/1963年東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。2007年刊行の『星新一』で大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞等を受賞。読売新聞「人生案内」の回答者を15年間務める。