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親父の人生最後の楽しみ

 生前は体重100キロでクルーザーなど船を愛しボディビルまでやっていた親父が、晩年は風船が割れたように小さな身体となり、しかしリハビリは面倒くさがってやらず、最後のほうは見舞いに行っても目を開けているのが面倒くさいからという理由でずっと目を瞑っていた男の衰えは「ああ、40年もすれば私もこうなるんだな」という予行演習になるのでしょうか。

 コロナもあって車いすで遠出をすることも劇場にいくことも無くなり、自慢のクルーザーも外車も借金の整理と共に処分して、人生最後の楽しみは『鬼滅の刃』で炭屋をやる主人公に対して「炭屋ってのは大変な仕事なんだよ。若いのに偉いなあ」と大正末期から昭和一桁にぶっ刺さるエピソードを観て繰り返し感動することでした。それでええんか、親父の晩年。

 貸したiPadで同じく昭和一桁の銭形警部を愛したり、昔のビートたけしは面白かったなあと余生を追憶で楽しんでいたのは印象的です。時代と共に人は生きる、という何かがそこにあるのでしょうか。

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結局、人間が生きていくと「ありがとう」に回帰する

 こういう介護もまた家族の形であって、人生あれだけ酷い目に遭っても添い遂げて葬儀で「パパかわいそう」と泣いているお袋や、特段血がつながっているわけでもないのにあれやこれや協力してくれた家内や義父・義母にも感謝しかありません。家内も、泣いて送ってくれましてね。ありがたいことだ、本当に。

 他方、あれだけ馬鹿だの死ねだの生前言い合っていた親父が遺体を焼かれる直前、私ですら出てきた言葉は「お父さん、ありがとう」みたいな陳腐なラップの一節みたいな内容だったわけでして、所詮、人生なんてそんなものだと思います。結局、人間が生きていくと「ありがとう」に回帰するという。

 人間、引退して社会とのかかわりが薄くなると、あれだけ親しかった経営者仲間や地元の人たちとのご縁もすっかりなくなって、死亡を知らせる連絡も受け取るはがきもめっきり少なくなりました。それでも、私が親父の永眠をSNSでお知らせすると、2000を超えるお悔やみやリアクションを頂戴し、少しは惜しまれて逝った感が出せたのは子として私も誇らしく思ってよいのでしょうか。

©山本一郎

 神の御許に召された親父の魂に限りない安寧があることを祈ると同時に、いま同じ時代を生きているすべての読者の皆さんとご家族のご多幸と平穏が末永く続くことを心より願っております。