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石井 大学に入ってからです。私は浪人したんですけど、大学に入ったら同じような志を持って映画を撮りたいと思っていた人間がもう一人いたので。

 大屋君というんですけど、彼と2人で浪人時代から、大学に入ったらお互いに8ミリの機材を分担して買って映画を作る体制を作ろうと話していました。

――大屋龍二(※注1)さんですね。 

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石井 そうです。狂映舎(※注2)というのも一緒に作ろうということを考えていました。彼は明治に進学して私は日大に進学したので、私は授業の課題で8ミリを撮る機会があり、それで回したのが最初です。 

『ぴあ』で狂映舎のメンバーを募集

――日大の芸術学部ですね。大屋さんと知り合ったのは浪人時代ですか?

石井 高校3年の同級生です。両方とも東京の私学を受けて、2人とも落ちて浪人して。

――それで東京に来られたんですか。

石井 いや、私は福岡、彼は北九州の予備校に通っていた。彼の北九州の予備校の仲間も東京の大学に行ったので、狂映舎は私と主に大屋君の友人関係で作った。私は社交的ではなく人付き合いが苦手なほうで、友達があまりいなかったので。

 大屋君のほうが率先して『ぴあ』(※注3)で狂映舎のメンバーを募集しました。

ぶっ飛んでいる8ミリ第1作『高校大パニック』

――『高校大パニック』を改めて見て、やっぱりぶっ飛んでいるなと思いました。もうクライマックスから始まるみたいな映画ですよね。あの発想はどこから来たんですか。

石井 自分が娯楽映画しか見ていなかったというのもあると思います。あとは、とにかく自分が知っていることじゃないと力を持たないというのは思っていました。

 ほとんど実体験みたいなもので、数学の教師に対する思いというのかな。授業が受験数学しかしなくて、非常に不条理を感じていました。受験数学ができないと非常に人を見下すといいますか、人間として見下されるのがおかしいんじゃないかと思っていたので。

8ミリ版『高校大パニック』より ©ISHII GAKURYU

――映画を通じてそれを表現したかった。