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黒沢清、長崎俊一、山川直人…自主映画界の横のつながり

――『サンダーロード』もそうですし、『爆裂都市 BURST CITY』もそうですし、クレジットを見ると当時の自主映画の監督をやったような人たちがすごくいっぱい入っていますよね。

石井 いろんな方に手伝ってもらったと思います。あと、大学の枠を超えて上映会も結構一緒にやっていたりしたんですよね。黒沢清さんもいたし、日芸には長崎俊一さんと矢崎仁司さんというすごい才能がいました。早稲田の山川直人監督も。

――山川さんは編集でクレジットされていますね。

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石井 『爆裂都市』の時に編集で手伝ってもらいました。すごい映画を撮る人だなと思っていました。黒沢清さんも最初から超然とした方でした。絶対自分のポリシーを曲げない、何を言われても気にしないという。

 それらの方との切磋琢磨がありましたし、例えば『シャッフル』だったら、今立派な監督になられていますけど、森達也さんがメインの刑事役で出てもらってますし、荒戸源次郎さんも出てもらってます。室井滋さんも早稲田のシネ研の関係で。

石井岳龍監督 ©深野未季/文藝春秋

 加えて、僕らはピンク映画の方たち、若松プロの方たちとも交流がありました。ガイラさん――小水一男さんという若松プロの重鎮ですけど、撮影、監督、俳優もやってという非常に面白い方で。

 私も若松(孝二)さんの脚本を書こうとしたことがありますが、採用されませんでした。下手なので。そういう越境した刺激的な付き合い、それはすごく大きな力になっていったと思います。

――あの時代、自主映画の人たちの横のつながりってすごく大きかったと思うんです。『ぴあ』(#1 注3参照)という存在が大きかったんですかね。

石井 『ぴあ』の存在も大きいです。

ぴあフィルムフェスティバルの大きな存在感

――石井さんの『ぴあ』との接点の始まりってどの辺ですか?

石井 ぴあフィルムフェスティバル(以下PFF)が始まった年に『高校大パニック』を出したんですけれども、落選しました。

――そうなんですか。PFFの最初。