味の素をはじめとするうま味調味料をめぐって論争が絶えない。ライターの澁川祐子さんは「この論争は100年にわたって続いている。味の素が人気になりだした大正時代には『原料がヘビ』というデマさえ流れた」という――。
※本稿は、澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
一世を風靡したはずの調味料が大っぴらに語られなくなった
あの赤いキャップの小瓶が食卓から消えたのはいつだったのか。
記憶をたぐってみても、はっきりと思い出せない。覚えているのは、小瓶からさっとふり出される細長い結晶が醤油の小皿できらめいていた光景だ。父はいつもその結晶入りの小皿に、漬けものをちょんちょんとつけて食べていた。少なくとも1980年代初めまではあったように思うのだが、いつのまにか姿を見かけなくなった。
そう、「味の素」である。かつて「化学調味料」と呼ばれ、のちに「うま味調味料」と言い換えられたあの白い粉だ。
以来、ラーメン屋や食品のパッケージで「化学調味料不使用」「無化調」と否定の形で語られているのを目にすることはあっても、とくに意識することなく過ごしてきた。一世を風靡したはずの調味料は、いつしか大っぴらに語られることがなくなっていたからだ。
でも、それは単に見えなくなっただけだったと、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(北尾トロ、下関マグロほか著、立東舎、2016年)を読んでその存在を思い出した。同書は、町中にある大衆的な中華食堂「町中華」が注目されるきっかけになった本だ。著者の面々は「町中華探検隊」を名乗り、今も活動を続けている。
町中華が生き延びてきた背景に化学調味料あり
本では、個人経営の店が多い町中華が生き延びてきた理由を「化学調味料=化調」による「中華革命」があったからだと述べる。多くの店が「化学調味料」を使うことで、ベーシックな味が確立された。しかも、その味はすでに人々の舌になじんでいたものだった。