いつ、「その瞬間」がやってくるかはわからない。私は「奴隷」に堕ちないように必死におどけたり、リーダーのご機嫌をとったりしていたが、あまり効果はなかったように思う。すべては女子のリーダーの気まぐれだったし、そもそもそのゲームの最大の目的は、私やその子が苦しむ姿そのものにあるからだ。
「才女」たちのいじめに見た母の幻影
彼女たちが、その無慈悲ないじめを娯楽として愉しんでいたのは間違いない。私とその子が戸惑い、苦しむ姿を見て、彼女らは時折笑みを浮かべていたからだ。それは、彼女たちのストレス解消法であり、愉しみであったのだ。
その一因は、ひとえに子どもにかける親の期待にあったと思う。中高一貫教育のブランド校。そこに渦巻く負のエネルギーは、今考えるとすさまじかった。彼らは、中学時代から東大や京大、国公立、もしくは医大を目指して猛勉強を重ねていた。いわば親の期待を一身に背負っていた。
彼らの目標はただ一つ、この過酷な受験戦争を勝ち抜くことだ。そのため、空き時間は家庭教師や塾などの予定でびっしりと埋めつくされていた。
学校での「仲間外れ」ゲームは、そんな「才女」たちの唯一のガス抜きだった。そして私は、ただなぶり殺しにされる生贄となった。
私が、クラス全員による小学校時代のいじめと異なる女子たちの行為に激しく動揺したのは、きっとそこに母の幻影を見たからだ。
女子グループが私にしたことは、今振り返ると母が私にしたこととまったく同じだったと思う。愛が欲しくて、振り向いてほしくてがんばっても、母の愛は条件付きだったり気まぐれだったりする。考えてみれば母も、私のジェットコースターのような感情の振れ幅をどこか愉しんでいたふしがあった。
女子グループも同じだ。人がどういう状態に置かれればもっとも傷つきダメージを受けるのか、彼女たちは本能的にそれを理解していた。だからこそ、私に一時的にでも「人権」を与えたのだ。それは今思うと、小学校時代とは比べものにならないほどの、ゾッとするような陰湿さがあったように思う。