とっさのことだった。私は我を忘れて母親に襲いかかった。馬乗りになって首を絞めていた。誤解しないでほしいのだが、そのときの私は母に対して、たったの1ミリも、憎しみという感情はなかった。だから母を殺したかったわけではない。ただただ行き場のない悲しみが胸中に押し寄せ、それが濁流となって、全身の血という血が沸き立つような感覚である。それは、私自身がかろうじて保っていた理性をも、どこかへ追いやってしまう。
今考えると、その先に暴力があったのだと思う。私たちはフローリングの上で上下にひっくり返り、激しい取っ組み合いになった。
そのときの感覚は今でも覚えている。母は、驚くほど温かかった。私はなぜかそのとき、母の体温を感じていたのだ。なぜだか、私が触れた母はとてもとても温かかったのだ。
そして、母が私に全身全霊で向き合ってくれているのを感じた。生きるか、死ぬか、という切羽詰まったあの感覚。それは、考えてみれば母に虐待されたあの幼稚園時代と同じあのとき、あの瞬間を彷彿とさせた。
「だれか、だれか、たすけてぇぇ! ころされるぅぅ!」
そのときの母は、子どものように泣きながら絶叫して、必死の抵抗を試みて、私の手から逃れようとしたと思う。そうして、私に嚙みついたり蹴ったりした。
母への怒りと悲しみ
今でも、あのときのことを思い出すと、胸がいっぱいになる。母は一瞬の隙をついて、命からがら家から飛び出した。ひっくり返ったテーブル、割れて飛び散った茶碗。倒れた本棚――。
ぐちゃぐちゃになった部屋は、無残そのものだった。私は荒れ果てた家を見て、泣きじゃくった。そして、すさまじい後悔の念に襲われた。
「お母さん、ごめんなさい! ひどいことして、ごめんなさい!」
母がいない家。なんであんなことをしたのか、死にたくなった。その後、自殺未遂をしようと考えたこともある。そうしてやっぱり、私はいないほうがいい人間なんだと自らを責めた。そんなことが幾度となくあった。