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 79年、日本テレビは「北海タイムスマラソン」の放送権を獲得した。後に日本がボイコットすることになるモスクワオリンピックの代表選手が出場する予定だったからだ。

 坂田は大会前に、NHKのスポーツ担当プロデューサー、杉山茂(すぎやましげる)へ電話をかけて、こうお願いした。

「ロードレース中継の技術を教えていただけませんか」

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 唐突な打診だったにもかかわらず、杉山は快諾してくれた。

ロードレース中継の難しさ

 NHKと日本テレビは同じ業界の競合同士とはいえ、立場が違う。それに76年のモントリオールオリンピックからNHKと民放が手を組んで五輪の国内向け放送権を共同で獲得し、放送番組を共同制作する「ジャパン・コンソーシアム(JC)」(92年バルセロナオリンピックまでは「ジャパン・プール」)という仕組みが始まっていた。スポーツ中継でのぎすぎすした競争関係はなくなりつつあった、という時代背景も後押ししたのだろう。

 まずは事前にどういうコースなのか、どんな建物がどこにあって電波送受信の障害になりそうか、事前に入念に調べ、頭に叩き込んでおくこと。そして往復で同じ道を折り返す場合、往路は右から左へ、復路は左から右へ流すために、どんな位置にカメラを置き、どういう視点から撮影するのがいいのか。

「サッカーや野球などボールゲームは画面にボールとボールにからむ選手が映っていれば100点だが、マラソンや駅伝などは長時間、長距離で全選手に、各ポイントにドラマがある」。例えば首位交代と、いわゆるブレーキや棄権などのアクシデントが同時多発的に起きた場合、優先順位はどうするか。

 後方の注目選手にそうしたアクシデントがあった場合、中継車が急行するのか、公道に据えた固定カメラでカバーできるのか。目まぐるしく状況が変化していく中、その場その場で素早く、的確に判断し、指示を出さねばならない。

 坂田と日テレの同期で中継技術の中心だった大西一孝(おおにしかずたか)テクニカル・ディレクターはともに、杉山からこうした陸上の長距離中継の概論などを学んだが、「飲み込みはさすがに早かった」。それからロードレースの中継現場を見学させてもらうなどして、初のロードレース中継へ向けての準備を着々と進めていった。