大騒動になっていく和泉流宗家継承
――少し話を戻しますと、和泉さんが21歳のときにお父さまが57歳でお亡くなりになりました。舞台で倒れて8日後には息を引き取られ、和泉流宗家継承についても話題になりました。当時から時間が経ち心境の変化もあるかもしれませんが、今改めて振り返ってどう思いますか?
和泉 確かに21歳と若かったですけど、年齢によって考えが変わるとか、時代によって気持ちが変化することでもないんですよね。伝統的に世襲で受け継がれてきた狂言の世界なのに、突然多数決で宗家を決めると言われてしまった驚き、戸惑いは今も変わりません。
――和泉さんが宗家になることに対して、納得されない雰囲気があったのでしょうか。
和泉 「世襲制」「先代宗家の指名」という和泉流宗家の伝統的な継承の決まりに則って父が亡くなって自分がそのまま宗家になりましたが、父と比べて30歳以上若い宗家になりますし、「あわよくば自分が宗家に…」と思う人など、僕が宗家になることを認めたくない人は確かにいたと思います。
私は宗家に生まれて、一歳半の稽古初めから宗家継承者としての修行を先代宗家によってつけて頂きました。歴史を振り返ると父は6歳で宗家になっていますし、14歳で宗家になった人もいます。なにより父が倒れる前の年、自分が20歳のときに宗家継承者成人披露を行なっていました。父の宗家在50周年と僕の成人披露ということで、国立の能楽堂で記念公演を行なったのです。しかし、そこから約7カ月後、二十世宗家継承の本披露の公演を目前に父が倒れました。
父の死後、本披露に出演予定だった方々から次々と「出ません」という連絡が入ってきました。番組の変更はありましたが、無事に幕を下ろしました。
同じく、先代宗家の死後に和泉流職分の一部により和泉流職分会なるものが結成され能楽協会に対して除名処分の申請が行われました。協会も当初「宗家である、宗家ではないを決める団体ではないので、私たちは関知致しません」というスタンスでした。が、除名処分の決議を行う、と。
蓋を開けてみれば、マスコミが話題にしていた“遅刻、早退、ダブルブッキング”の報道が除名処分理由に変更されていました。不思議なことに、これらの事実を僕は、職分会や協会から知らされるのではなく、マスコミを通じたニュースで初めて耳にしたのです。