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今、和泉元彌が最も幸せで充実していると感じている瞬間

 自分は二十世として代々のお墓を守っているのも自分です。七代までのお墓が京都に、それ以降のお墓が名古屋にあります。父がなくなり、歴代宗家のお墓を東京に移しお墓参りすることができますが、京都・名古屋のお墓もそのまま残し、守っています。

 また全国に和泉流の狂言師の方がいらっしゃいますが、その方々から宗家だからと言って何某かを徴収することもないですし、和泉流の職分としてそれぞれの地域やお家ごとに独自の活動をされています。世界遺産だからと言って、伝統文化だからと言って、宗家だからと言って、国から特別な支援を頂くこともない。いわば「自営業」ですよ。私が狂言師であり、宗家であり続けるのはこの家に生まれた自分の役目であり使命だと思っているからこそです。そして自分の父親が十九世宗家で、その方にいただいた芸が自分の中にあります。

©杉山秀樹/文藝春秋

――お子さんにもお稽古をなさっていらっしゃるのですか?

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和泉 はい、私は子供にも狂言を教えていて、この20年間はものすごく充実しています。姉にも2人子供がいるので、自分の子ども含めて4人の子供たちに稽古をつけています。それは幸せで充実した時間です。

 最近はだんだん父に似てきたと人から言われることもあります。親子で狂言を演じる機会も増えてきた息子もまた、自分に似てきたと言われるようです。

――約20年前、取材が過熱していた時、小さかったお子さんたちも今では大きくなりましたね。

和泉 娘が4歳くらいのとき、家族で車に乗っていると、後ろをじっと見つめているんです。「どうしたの?」と聞くと「青いクルマには怖い人が乗っているの」とマスコミらしき人を見て言うんです。自分のせいで子どもにこんな怖い思いをさせてしまっている。家族は守らないといけないと思いましたし、今考えても行き過ぎた取材だったと私は思っていますよ。

©杉山秀樹/文藝春秋

 自分に敵ができようと自分が悪く思われても、600年続いた狂言の伝統は代々引き継いでいく使命があります。今でも当時を振り返って若さゆえの過ちだと思わないし、今目の前に21歳の自分がいたとしても、胸を張って同じことが言えると思います。

 50歳手前になった今も一つ一つの芸を大事に守り、後世に残していくのみです。