決められたスケジュール通りに動いているはずが“ダブルブッキング”と面白おかしく報じられ、納得いかないまま過ごしていた日々、和泉元彌を救ったのは伝説的なレスラーのかけた言葉だった。そしてその縁がハッスル参戦へとつながり…。

 室町時代に生まれたエンターテインメントが平成生まれのエンターテイメントと融合した奇跡のタッグを振り返る。(全3回の2回目/1回目3回目を読む)

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ワイドショーで繰り返し取り上げられた“ダブルブッキング”騒動の真相

――2002年にダブルブッキングと呼ばれる出来事が2回ありました。今振り返ってどう思いますか?

和泉 ダブルブッキングではなくて、掛け持ちがあったということですね。

――あらかじめその通り予定を組まれていたと?

和泉 そうです。現地のスタッフ、公演スタッフ、テレビ局の方、エージェントが話を通してこの形で移動すればOKだと言われている状態で、自分はそのルートに乗って移動したんです。

©杉山秀樹/文藝春秋

 一人でも多くの方に狂言を見て頂きたい、普段狂言に接する機会の少ない方にお届けしたい、そう思って岡山から東京へ、そして岐阜から東京へヘリコプターや小型ジェット機で移動しました。間違えて同時刻に別の場所の仕事を入れてしまったわけではありません。

 それなのに“ダブルブッキング”として世の中では面白おかしく騒動になってしまった。もちろん自分の責任じゃないというつもりではありません。周りの人に「スケジュール通り動いています」とちゃんと伝わらなかったのは、自分の不甲斐なさだと今も思っています。

 乗ったことがある方ならお分かりかと思いますが、ヘリコプターや、ビジネスジェットを急に飛ばすことなんて不可能なんです。運営している会社に申込をして、安全を確保しない限り飛べないんです。ですからダブルブッキングで慌ててヘリをチャーターした、ということはありえません。自分はヘリコプターやジェット機の知識もないですが、事前にスケジュールを組んで頂いています。

 天候も考慮していましたし、万が一飛ばなかった場合も想定していました。新幹線で行けるルートをヘリコプターやジェット機で行くのは通常の手段ではないですが、それがなければお受けできない公演も出てきてしまうほど、当時は公演数が多かったです。

©杉山秀樹/文藝春秋

私たちの車が走り出すとマスコミの車とバイク30台くらいが一斉に…

――話題になったのか、2回目の岐阜~東京では1回目以上に大きく注目されていました。かなりの騒動になっていましたよね。

和泉 とんでもない状況でした。芸能マスコミ報道としても今では考えられない状態です。岐阜の公演が終わってから名古屋空港に向かい、そこからヘリコプターを飛ばして羽田空港に向かう予定だったんです。ただ、朝の時点で名古屋空港も羽田空港もマスコミの数がすごいことになっていたので、ヘリコプターを飛ばすのも安全を確保できるかどうか。ということで、急遽、離陸場所の変更をヘリコプターの運営会社が判断されたほどです。