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――名古屋空港から約1時間後に羽田空港に着くと、かなりの数の取材陣がいたそうですね。

和泉 私たちの車が走り出すと30台くらいの車とバイクが一斉にスタートしたんです。私たちの車の横をバイクが並走したり、何台もの車に囲まれました。私たちは決められたルートを走っているだけなのですが…。テレビでは面白おかしく映っていたかもしれませんが、気が気じゃなかったです。あの時ばかりは、報道陣の皆様の無事を祈ったほどです。

――約1時間後、新宿コマ劇場に着いてから楽屋までスムーズに移動できましたか?

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和泉 周りのスタッフに守って頂けたので、自分がもみくちゃになることはなかったですが、周りも騒然としていましたね。そんな過熱報道は各地であり、テレビには映らなかったかもしれませんが、姉は空港で報道陣にカートごと押し倒されて怪我をしましたし、お客さまにもご心配を掛けてしまって。

 実際は普段の入り時間より結局1時間も早く新宿コマ劇場に入れたんです。テレビのコメンテーターの方は、2時間前から劇場に入って公演の最後までいるものだと仰る方もいましたが、自分たちは2時間前から入る習慣も元々ないですし、公演によっては自分の出番が終わったら帰る人も普通にいらっしゃいます。人それぞれだと思いますが、そのような方々を遅刻、早退と言うことはありません。

©杉山秀樹/文藝春秋

――舞台への影響はありましたか?

和泉 そこはプロなので楽屋に入ってすぐ切り替えました。それこそ舞台の裏を走り回って数十秒後には再び舞台に登場しているとか、早着替えも当たり前の世界なので。舞台に影響がでるのなら組んではいけないスケジュールだと思います。

 僕が不本意だと思うのは、あそこまで追いかけられても舞台の映像が一切出なかったことです。結局マスコミが興味を持っているのは、何の為の行動なのか? ではなく、面白く報じられる移動している画だけなんだなって思いましたね。

スケジュール管理をしていた人はいったい誰だったのか?

――当時、お母さまを中心にスケジュール管理されていたのでしょうか?

和泉 母だけではありません。エージェントを含めて3、4名で連携して、OKが出たスケジュールで動いていました。あのとき母が矢面に立ちましたが、当時母は60歳。今まで人生を着実に歩んできた人が騒動に巻き込まれて、母にも申し訳ないことをしたと思います。

――ダブルブッキング騒動でバッシングを受ける最中、ハッスルにも出場されました。会場に登場する際、「ダブルブッキングでも遅刻でもござらん。開場前からずっと上で待っておったのじゃ」と叫んで、ヘリコプターの爆音と共に派手な着物で登場。こちらは和泉さんが考えた言葉ですか?