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和泉 はい、ハッスルの運営スタッフの皆さんと共に。悪ふざけしたわけではありません。世間的には遅刻とかダブルブッキングを繰り返すと思われているかもしれない。でも、本当はそんなことではないという事実を共有して、真実が報道されないなかで、正面切って「今日は2時間半前から実は屋上で待ってたよ。本当のことなんて何も見えてないじゃない」と、世間に言ってください! と、少しの風刺も込めてそんな文言になりました。誤解をいたずらにネタにすることは不謹慎と受け取られかねないので、よくよく相談した上で決心しました。

――そもそもどのような経緯でハッスルに参戦されたのですか?

和泉 僕の大学時代の同級生が、ハッスルの制作会社にいて声を掛けてくれました。

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 ただ、その前にプロレスラーで2005年にお亡くなりになった橋本真也さんとの出会いがありました。

 たまたま生前、橋本真也さんと飛行機で隣り合わせになって1時間半くらいずっとお話する機会がありまして。熊本から東京に向かう飛行機で、「最後の搭乗のお客様をお待ちしております」とアナウンスが入り、誰だろうと思ったら橋本真也さんでした。

©杉山秀樹/文藝春秋

橋本真也に言われて救われたこと

 それがまさに僕がバッシングを受けていた時期。橋本さんに「すみません」って声を掛けられて「見ています」と。お互い挨拶が続いた後、橋本さんがこう言ったんです。

「すごいバッシングを受けられていて大変な時期だと思いますけど、本当に強い人とはあなたのような人だと思います。世の中にあることないこと言われても、テレビに映る元彌さんは常に姿勢が変わらない。自分は新団体を立ち上げましたが、トップに立つ人間になると、他人に全てを伝えられる訳もなく、理解してもらうのも無理です。

 すごく大切にしている奥さんには何でも話すけど、それでも話しきれないこともある。でも自分はトップとして周りを引っ張っていかないといけない。重みは全然違うけど、必ず人にわかってもらえる日がくると思うし、その思いを抱えて今も立ってらっしゃるのがわかる。本当に強いと思います」と言ってくださったんですね。

 ほかにも真也さんの修行時代の話を聞かせて頂いたり、自分も4歳からプロの舞台に出ている話をしたり、同じ四角い舞台ですねって。いろいろお話を聞いてお互いに「今度、観に行きます!」と言ってお別れしてから1年半後、真也さんは病気で亡くなってしまいました。

 僕がハッスルのオファーを受けたのは橋本さんが亡くなった後。相変わらずマスコミも賑やかでしたが、オファーされた日程が、本来橋本真也さんが復活するはずの大会の日だったんです。10年後、自分がもっと成長して周りも落ち着いて、そのときやろうかなと思うのだったら、今がやる時! 未来にやっていいことは今やってもいい。