逆に今やってはいけないことは未来でもやってはいけない。真也さんと「何か一緒にやりましょう!」と言っていたことが、一緒にはできないけれど、このような形でお弔いになるならと思い切りました。
また、大学の同級生からハッスルの打診をされて、まずは大阪城ホールに試合を観に行ってみたら、まさにエンタメプロレスでした。子どもたちの特撮ヒーローがリングで戦っていたり、キャラクターが立っていたり。自分が小さい頃は地上波放送でプロレスが観られる時代だったんですよ。父もプロレスが好きで後楽園ホールも一緒に行っていたので、元々プロレスは身近にありました。またその日は、亡くなった方に対して追悼のゴングを10回鳴らす「テンカウントゴング」が橋本選手のために行われていました。大阪城ホールに集まった人たち全員で黙とうをささげている様子を見て、素敵な世界だなと思いました。
賛否両論だったハッスル参戦を今振り返ると…?
観戦が終わって会場を出るときに同級生から改めて「平成に生まれたエンターテインメントのステージで、狂言は何ができますか?」とオファーされ、「室町時代に生まれたエンターテインメント・狂言が存在感で負けることはない。ただ、できるという判断と、やるという判断は別なので、改めて相談させて」と返事をして別れました。後日、一番に狂言は傷つけられない。自分の体も傷つけられない。それが確保された上ならとお引き受けしました。
――ハッスル出場に関して、周りの反応はいかがでしたか?
和泉 当日までプロレスファンの方からも「プロレスをナメている!」とか色々言われましたが、試合後は最高なエンタメだと1万5千人の観客の皆様から拍手を頂きました。
もちろん全て好意的な意見ではなく、賛否両論だったと思います。「見事にやってくれた!」「狂言のパフォーマンスを見て印象がひっくり返った!」という声もあれば、「和泉元彌、プロレスに転向!」「狂言師をやっていけないから転向」と週刊誌にも書かれましたが、それってプロレスラーにも失礼ですよね。
そもそもプロレスだったら無理ですよ。ハッスルというある種エンターテインメントの枠組みの中で、自分が今まで表現者として培ってきたものでなにができるか。10分ほどの対戦でしたが、皆さんと相談して試合を組み立てました。鈴木健想さんという対戦相手にも恵まれましたし。
色々な意見や見え方もあったと思いますが、なんとなくその後から、和泉さんにしかできない、何か楽しいことをやってくれるよねという感じのことは言われるようになりました。