ネスカフェのテレビCM「上質を知る人」で注目を集め、2001年の大河ドラマ『北条時宗』でその人気を不動のものにしたはずだったが…。今から約20年前、若き狂言師が味わった栄光と苦しみの日々の中、人知れず胸に秘めていたことは――。(全3回の1回目/2回目3回目を読む)

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大河ドラマ『北条時宗』に主演していたあの頃

――和泉さんは4歳から狂言の舞台に立たれていますが、お名前が世間に知られるようになったのは、ネスカフェのCM「上質を知る人」(1998)にご出演されたタイミングでしょうか。

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和泉 そうですね。森田芳光監督の映画「未来の想い出」(1992)に出演したのが高校3年生のときで、その後「はなきんデータランド」(テレビ朝日系列/1989~1996)でもMCをさせて頂いたので、その頃からちょっとずつ皆さんに知って頂くようになりました。「上質を知る人」に抜擢して頂いて、より世間の皆さんに「狂言師・和泉元彌」が浸透したと感じています。

©杉山秀樹/文藝春秋

――CM出演後、紅白歌合戦の司会や大河ドラマ『北条時宗』(2001)では初出演かつ主演にも抜擢されました。まず大河ドラマのお話がきたときはどう思いましたか?

和泉 NHKさんから「3カ月間スケジュールを抑えられますか」「半年はいかがですか?」「1年はいけますか?」とだんだん長い期間を抑えられるか確認があり、その後「実は大河ドラマなんです」とオファーを頂きました。後日、母と一緒に応接室に行って担当者の方からお話を伺いましたが、正直大河ドラマは観るものだと思っていたんですね。一旦話を持ち帰って家族会議を開き、正式にオファーをお受けすることにしました。

©杉山秀樹/文藝春秋

――大河ドラマは撮影も長期に及んだと思いますが、いかがでしたか?

和泉 当時は、月曜日に1週間分のリハーサルを行い、火曜日から金曜日まで撮影、土日は原則休みだったんです。でも狂言以外の仕事がこれだけ充実している分、狂言の舞台に立っていないと、体力は持っても精神が持たない。「撮影のない日は狂言を務める」と決めたんです。そうしたら見事に毎週土日に舞台を入れてくれて(笑)。大河ドラマ撮影中の1年半の間でも、200回前後の公演をしていました。

 土日に狂言、月曜日から金曜日までドラマの撮影でしたが、3カ月くらい過ぎたときにプロデューサーさんから「月曜日が一番元気になっているね!」と言われましたが、その通りだったと思います。体を壊すこともなく、自分の中でバランスを保ちながら続けることができました。