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【現場の模様及び死体の状況】

 

(略)死体の発見された場所は、大宮公園内大宮八幡神社正面大鳥居前から永福町、松ノ木に通ずるバス通りを松ノ木町方向に七十メートル北行して西から東に流れる幅一一メートルの善福寺川に架けられた宮下橋を渡り、同橋のたもとをすぐ右折、堤防上にある幅一・五メートル位の道に沿い百三十一メートル川下に降りた水中で、被害者は、グリーン色ツーピースに靴はなく、足底の擦り切れたナイロンの靴下を穿き、右手を顔に、左手には金メッキペックステンレス精工大型黒バンド付き婦人用腕時計を嵌め、胸部に上げ頭部を下げ下流護岸寄りに位置して、仰向けに倒れ、後頭部、両腕部、背部、腰部、膝下足部を水に浸け顔面部、手、胸部、大腿部は水面上に露出していた。

 

 この川の水深は宮下橋下の一番深い所で六十センチ位、死体のあった付近は二十センチないし三十センチ位で、流れはゆるやかである。

 

 着衣の状況は、ツーピースの下に人絹ブラウス、白人絹シミーズ、ブラジャー、コルセット、白メリヤスパンティに靴下を穿きコルセットの靴下吊は正確に靴下にとめられ、服装の乱れは全然認められなかったとのことである。

 遺体は川に放り投げられた格好であったが、現場を見て言えるのは、岸から放り投げたとはとても考えられない。たとえ犯人が大柄で力強くても、岸から成人女性を投げることは絶対無理だ。したがって犯人は知子さんを抱えて水深30センチの川に入り、ある程度進んでから、毛塚さんの土地側に向けて投げ捨てたことになる。当然、犯人のズボンは、少なくとも膝頭までずぶ濡れであったと思われる。まだ3月初旬、川の水は冷たかったであろう。

凶行後の犯人の心理、「土と水」の違い

 そもそも遺体を現場にそのままに残す場合を除き、殺人事件における遺体遺棄は、大きく2つに大別される。1つは土に埋める場合。もう1つは川や海に投げ捨てるケースである。

 私は事件記者として、警察及び犯罪心理学者や司法解剖医などに話を聞く機会があった。

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 彼ら専門家によると、犯人が遺体を川や海に投げ込むのは、被害者に対して強い憎悪を伴う場合があり、いわば冷酷さが特徴という。これに対して遺体を土に埋めるのは、まだ情けが残っている、とのことである。なんとなく理解できるように思うが、実際の事件を見てみよう。

 まず「土」の例だが、1971(昭和46)年に起きた大久保清事件である。多くの女性が暴行された後に扼殺、地中に埋められた連続殺人事件だ。犯人の大久保清は、ベレー帽をかぶりロシア風ルパシカを身につけ、詩人気取りで若い女性に近づく。白い車を使って誘うと、いとも簡単に女性たちは車に乗り込んできた。当時、車はステータスシンボルであったからだ。被害者は、そろってロングヘアの女性だった。犯人の好みであったらしい。