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「富山平野の農村」におとずれた“変化のとき”
そんな中、1931年になると富山電気鉄道(現在の富山地方鉄道)の越中舟橋駅が開業している。1928年に就任した稲田健治村長が精力的に働きかけた結果、多少のルート変更によって舟橋村にも鉄道がやってきた、というわけだ。
越中舟橋駅は、以来90年以上にわたって村の玄関口としての役割を担い続けている。もちろん昔は有人、つまり改札口に駅員さんのいる駅だったが、1980年代後半には無人化の動き。
そこで、舟橋村は駅を拠点とした新しい町づくりに乗り出した。駅舎に図書館を併設し、さらにそれを中心として中心市街地を整備。パークアンドライドのための駐車場なども整えたのだ。
この頃の舟橋村は、多くの村がそうであるように人口の減少に悩まされていた。村内全域が市街化調整区域になっており、住宅地などの開発ができなかったことが大きな要因のひとつだ。
そこで、1988年には市街化調整区域から外し、1989年には村営住宅を造成。過疎化の食い止めに本腰を入れてゆく。