1992年に発生した、史上最悪の少年犯罪――犯人は当時19歳の少年で、見ず知らずの一家4人を一夜にして殺害した。少年はなぜ凶行に走ったのか? 死刑確定までの3年余り、犯人と対話を重ねた作家・永瀬隼介さんが事件をふりかえる。
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鋏(はさみ)で封を切る。ん? なんだ、この匂いは――真っ白な封筒から薄青色の便箋を抜き出し、嗅いでみる。香水だ。獄中の男から届いた最初の手紙には、上等の香水がたっぷり振りかけてあった。
男の名前は関光彦(せきてるひこ)。1992年3月6日、19歳時に千葉県市川市のマンションに押し入り、4歳の幼女、両親、83歳の祖母の一家4人をなぶるようにして惨殺。その遺体の傍らで、ひとり生き残った長女(15歳)を「気分転換、時間潰し」と称し、強姦している。まさに鬼畜の所業である。
「あんな殺人犯は見たことがない」
一夜で4人の命を、虫をひねり潰すがごとく奪った光彦は、逮捕後もその冷酷ぶりを遺憾なく発揮し、取り調べに当たったベテラン刑事を唖然とさせた。
「あんな殺人犯は見たことがない。三度のメシを腹いっぱい食い、夜は大いびきをかいて熟睡している。人間じゃありませんよ」
面会に訪れた母親には、高校時代の教科書と参考書を差し入れさせている。出所後に備え、資格のひとつも取得しようと考えたのだ。
未成年だから死刑は無いだろう、少年院で罪を償い、また出直せばいい、とその程度の罪の意識だった。
しかし、地裁、高裁、共に死刑判決を下し、2001年12月3日、最高裁は上告を棄却して死刑が確定した。
わたしは死刑確定までの3年余り、葛飾区小菅の東京拘置所に通ってインタビューを重ね、手紙を交わし、被害者遺族をはじめ多くの関係者の証言を得て、拙著『19歳 一家四人惨殺犯の告白』(角川文庫)にまとめた。
暴力に彩られた半生
手紙に香水を振り撒く“配慮”と、酸鼻(さんび)を極めた大量殺人との落差に眩暈(めまい)がする思いだったが、光彦の複雑極まりない素顔と、暴力に彩られた半生を知るにつけ、違和感は薄らいでいった。
〈僕は高校も中退してしまい、(中略)ひどく無学でたいしたことも書けません。稚拙な文章になり、要領を得ない通信になるかと思います〉