県道の東側には引地川、西側には目久尻川。これらの川が相模原台地を削って生まれたアップダウン。川沿いは整然としたニュータウンではなく、どちらかというと昔ながらの住宅地が広がる。都市化が進むより前は、のどかな田園地帯だったのだろうか。
市役所の前の道を歩いて今度は西へ。風景が一変…!
県道に戻ってさらに南に進むと、東名高速道路との交差地点からおおよそ15分。大きな交差点に出た。交差点の北東の角には綾瀬市役所、その斜向かいには綾瀬タウンヒルズSCという商業施設が建つ。
市役所があるから、はたまた大型商業施設があるからといってどうということもないのだが、少なくとも駅という核を持たない綾瀬にとっては、この交差点が町のひとつの中心であることは間違いなさそうだ。
ここまで来れば、商業施設を訪れる人たちの姿もちらほらと見える。さすがに歩いてやってくる人は少ないようでも、自転車で駆けつけている人の姿はそこそこ多い。綾瀬タウンヒルズSCは、綾瀬の町のランドマークなのだ。
ここからは、市役所の前の道を歩いて西に向かった。すると、市役所の前を通り過ぎたところですぐに風景が一変した。
見渡す限りの田園地帯。北も南も田んぼなのか畑なのか、遠くまで見渡せるほどに広々とした田園風景が広がっている。東名高速に工場群、ニュータウン、そしてクルマ通りの多いメインストリート。そうした郊外都市らしい風景とはうってかわって、都市という言葉とはまるでかけ離れた農村である。
綾瀬市を「人口8万人の郊外都市」にした“最初の大きな変化”
いまでこそ都市化が進んで、人口8万人以上を抱える郊外都市・綾瀬。けれど、ひと昔前の綾瀬は他の郊外都市の例に漏れず、のどかな田園地帯であった。引地川や目久尻川、ほかにも蓼川という小河川が北から南へと流れ、その川沿いの低地では稲作が、相模原台地の高台では畑作が盛んだったという。
旧郡名にちなんだ高座赤というサツマイモは特産のひとつ。また、養豚も盛んで高座豚はいまでもブランド豚のひとつとして知られている。
そんな農村風景は、近代以前から明治、大正、そして昭和に入っても変わらなかった。最初の大きな変化は、1942年。海軍厚木飛行場が完成したのだ。