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厚木飛行場とはいうものの厚木にはなく、敷地の約8割までが綾瀬市内に属する。東京からほど近い場所に、広大な敷地を持つ海軍さんの飛行場。帝都防衛の役割を期待された、重要拠点のひとつだった。
この時期、厚木飛行場に限らず相模原台地にはいくつもの軍関係の施設が設けられている。東京とそこそこ近く、それでいて都市化が及んでおらず広大な敷地を確保するのが簡単だった。小田急やら相鉄やらもすでに開業していたから、交通の便も悪くない。こうした条件に恵まれていたのが相模原台地一帯だったのだろう。裏を返せば、その頃のこの一帯は都市とは無縁な田園地帯、ということである。
飛行場のある町の「戦後」
厚木飛行場は、戦後米軍に接収されて、いまもアメリカ海軍にとっての重要拠点になっている。かのダグラス・マッカーサーがコーンパイプを咥えて降り立ったのもこの飛行場だ。
厚木飛行場を除けばまだまだ農村の綾瀬の町。見方を変えれば、都市化の第一歩が厚木飛行場だったといえるのかもしれない。少なくとも、いまでも離発着する航空機の騒音などに悩まされていることは事実だ。町を歩いていても、何度も何度も頭上を航空機が通り過ぎていった。
そして、戦後になると急速に都市化が進む。急増する首都圏の人口を吸収するベッドタウンとして整備が進み、道路網も整えられる。