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「綾瀬バス停」の意外と知らない“本当の名前”

 東名高速道路が市内を通ったのは1960年代の終わり頃。前後して工業エリアも造成されている。また、60年代はじめには市域南端に東海道新幹線の試験線も設けられている。いわゆる“鴨宮モデル線”というやつで、開業後はそのまま東海道新幹線の一部に組み込まれた。

 ちなみに、東名高速道路の綾瀬スマートインターチェンジが設置されたのは2021年とずいぶん最近のことだ。だから、工業地帯はインターチェンジをあてこんで開発されたものではない。綾瀬バス停(正確には『東名綾瀬』という)の開設は1971年。渋滞の名所になったのは、いつ頃なのだろうか。

 

 ともあれ、県道と東名高速道路の交差地点あたりから、県道を南に歩いて見てきた綾瀬の町。ロードサイドの市街地と川沿いの集落、はたまたニュータウンに田園地帯といったいくつもの表情は、この町の歴史そのものを辿るお散歩といっていい。未来のことはわからないけれど、市役所西側に広がる田園地帯も、いつかは都市に飲み込まれてしまうのだろうか。

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 田園地帯を西に抜け、急な下り坂を下って目久尻川沿いに出る。近くに高校でもあるのだろうか。自転車に乗った高校生たちが次々にやってくる。目久尻川を渡った先にはまた新たなニュータウン。その中には、相鉄バスのターミナルが設けられていた。

 帰宅する高校生に交じってバスを待つ。やってきたバスは、海老名駅行き。ここから海老名駅までも、たった15分ほどの距離だ。鉄道の駅がなかろうと、決して不便さを感じさせないあたりは、やはり実によくできている。

写真=鼠入 昌史

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