ドラマ「虎に翼」(NHK)のモデルである三淵嘉子は、約90年前、女性で初めての高等試験司法科(現在の司法試験)合格を目指した。作家の青山誠さんは「明治大学法学部をトップの成績で卒業した嘉子は、人生で最もたくさん勉強して合格率10パーセントの難関に挑んだが、一次の筆記試験から帰宅した瞬間、玄関で泣き崩れた」という――。

※本稿は、青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

画像=東京朝日新聞、1938年11月19日付 嘉子が高等試験を受験した当時の新聞記事、女性の服装(モンペ) - 画像=東京朝日新聞、1938年11月19日付

膨大な暗記ノートを作って司法科高等試験に挑んだ嘉子

司法科の高等試験を受験する者はみんな、早朝から夜中の10~11時まで、土日も休むことなくひたすら勉強にあけくれたという。嘉子(よしこ)も同様、いままでの人生でこれほど長く机にかじりついて勉強したことはなかった。半紙を二つ折りにして、考えつくすべての問題と解答を対比させたサブノートを作った。膨大な量になってしまったが、これを完全に覚え込めば合格間違いなしと信じて、繰り返しめくりながらひたすら内容を暗記しつづける。

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受験日が近くなってきた頃には、サブノートは手垢(てあか)でかなり汚れていた。やれるだけのことはやった。受験日の朝は達成感と自信に満ちあふれ、

「これで合格は間違いない」

と、意気揚々でかけて行った……が、筆記試験が終わって帰宅した時には、朝とは別人のように憔悴(しょうすい)していた。いきなり玄関に座って泣き崩れてしまう。何を聞いても答えず、ただ泣くばかり。困り果てた母は近所に住む知人の野瀬高生を呼んできて、説得してもらうことにした。

判事になった知人男性が、受験後に泣き崩れた嘉子を慰めた

野瀬は中央大学法学部卒業後に高等試験司法科に合格して、この年には判事に任官されていた。昔から武藤家に出入りして、親戚同然のつきあいだったという。嘉子にとっても気心が知れた相手であり、試験についてのアドバイスも色々ともらっていたようだ。