野瀬が駆けつけた時、嘉子はまだ玄関先に座り込んだまま大泣きしていた。なんとか落ち着かせて答案の内容について聞いてみたところ、彼が判断する限りでは失敗どころか、よくできた解答だと思った。だから、
「大丈夫、合格しているはずだ」
そう言って太鼓判を押す。先輩の言葉に安心したのだろうか、ようやく泣き止んで落ち着きを取り戻したという。
その後しばらくして筆記試験合格の通知が届いた。結果は野瀬が言った通り合格。しかも、抜群の成績で悠々合格だったというから、嘉子はいったい何を勘違いして大騒ぎをしたのだろうか?
思い込みの激しいところがある。感情の起伏が大きく、それを抑制することができなくなることも。そんな一面を時々みせた。また、強気なようで意外と脆(もろ)く、予想外のアクシデントには弱い。
1936年から女子に開かれた司法試験で初の合格者を目指した
弁護士法が改正されてから3年後の昭和11年(1936)には、女性でも高等試験の司法科試験を受験できるようになった。これに合格すれば弁護士資格が取れる。同年の受験者は3610名中17名が女性だった。そのうち13名は明治大学法学部出身者で占められていたのだが、一次試験の論文試験で誰も合格できずに終わってしまう。翌年の昭和12年(1937)には、法学部1年に在学中の田中正子が論文試験に合格した。が、二次の口述試験で不合格になっている。
嘉子は昭和13年(1938)3月に明治大学法学部を卒業し、この年の11月におこなわれる司法科試験に挑むことにした。法律を学ぶうちに、彼女も司法科試験合格をめざすようになっていた。専門部と大学で6年間学んできた。法律を職業にしようという意識はまだ希薄だったが、その成果を証明したいという思い。また、女子が高等試験を受験できるようになって2年、いまだ合格者がでていないというのが悔しい。自分たちの代でなんとかせねばという使命感に燃えていた。