大学側でも嘉子たちに悲願達成の望みを託している。法科の教授や講師たちの言動からも、その必死さが感じてとれた。後につづく後輩たちのために、女性が法律を学ぶ場所を残しておかねばならない。仲間意識や母校愛の強い彼女だけに、受験勉強にいっそう熱が入った。
合格率10パーセント、東京帝国大学の出身者でも難しい狭き門
高等文官試験とは、戦前の日本で実施されていた上級官僚になるための資格試験のことだ。合格率10パーセントに満たない狭き門で、合格者の多数が東京帝国大学出身者で占められていた。日本中の秀才が集まる最難関の東京帝国大学出身者でも、この試験に合格するのは至難の業。
試験には一般の行政官採用を目的としたものと、外交官の採用を目的とした外交官及領事官試験、そして、裁判官や検事など司法官を採用するための司法科試験があった。かつては公務員である判事や検事の採用だけを目的にした判事検事登用試験があり、弁護士資格の取得はそれとは別に弁護士試験が実施されていたのだが、大正12年(1923)以降はそれが「高等試験司法科試験」として統一される。民間の法律家である弁護士が、その資格取得のために公務員になるための資格試験である高等試験を受験するというのは、現代人の我々には不思議な感じがする。
戦前、弁護士は司法省の監督下に置かれ、格下と見られた
ちなみに、現在の司法試験は、法律家としての資格を取得するための国家試験である。合格者は司法修習生として実務を学ぶのだが、その立場は公務員ではない。司法修習を修了した後に法曹三者(判事、検事、弁護士)のいずれかになる資格が与えられ、この時にはじめて公務員の裁判官や検事、民間の弁護士になることを選択する。
戦後の弁護士法には「弁護士自治」が明記され、国と対等の立場になった。堂々と国を相手に裁判を起こすこともできる。しかし、戦前の弁護士は司法省の監督下に置かれていた。公務員である判事や検事には、弁護士を格下に見る風潮が強かったという。下請けの業者のような扱いだった。