キャバレーは女性同士の結びつきも強く、数人でグループを作ってお客さんの指名を全員にもらうなどしていたが、いずみさんは一匹狼を貫いたという。2003年に「一人が好き」という理由で独立したが、その後のムーランルージュの状況は想像に難くない。店に残る女の子が、いずみさんの元へ相談に来ることもあったという。そこにコロナ禍が襲い、とどめを刺した。最後には喫茶店への転業を図ったが、1年ともたずに閉店してしまった。
暗闇の商店街で突然声をかけられて…
いずみさんにお礼を言って退店したが、気が付くと4時間も滞在していた。往時の状況を想像しながら話を聞く時間はとても楽しく、早く過ぎるものだ。店を出たところで、客引きの男性に声をかけられた。
「いずみちゃんとこ行ってたの?」
ムーランルージュのことを聞いていたと答えると、「いずみちゃんはムーランでナンバーワンだったからね」と教えてくれた。いずみさんはそんなこと一言も言わなかったが、やはりという思いだった。
シャッター街の“キャバレー”を購入したオーナー
後日、今度はムーランルージュを所有し、鍵を貸して頂いた方の元へ、お礼に伺った。岐阜市でアパレル業を営む株式会社マキレディ会長の牧田公生さん(75歳)だ。友人を介して、お礼のためと事前に伝えてあったが、それだけでなく街の歴史についても丁寧に教えてくださった。
牧田さんが20代の頃、岐阜は繊維産業で好景気に沸いており、柳ヶ瀬は飲んで遊べる夜の街として、今では考えられないほど凄い人で賑わっていたと振り返る。当時はタクシーで名古屋まで帰っても、トータルだと安く済むため、名古屋から柳ヶ瀬を訪れる人も多かったのだとか。
私は、一番聞きたかったことを牧田さんに聞いてみた。
「なぜムーランルージュを購入したんですか?」
正直、今の状態を見て、買い手や借り手が見つかるとは思えない。