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売るあても貸すあてもない、それでも…「日本一のシャッター街」にある“半廃墟状態のキャバレー”を購入したオーナーが明かした“意外な考え”

2024/06/06
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「ムーランのことなら何でも知ってる」といずみさん。とても心強い。

 
スナックいずみ

 そもそもムーランルージュは、今の場所にはなかった。1973年、当時ムーランルージュの隣にあったグランドキャバレーで火災があり、移転を余儀なくされ、今の場所に移ったのだという。

 いずみさんが入店した1983年当時、在籍するホステスさんは7、8人しかおらず、テコ入れのために系列店からいずみさんを含む17、18人を移籍。これによりムーランルージュは盛り返し、多くのお客さんで賑わいを取り戻した。

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ムーランルージュ1階

 当時、1階のステージではエレクトーンを中心にトリオの生演奏が行われていた。1階と2階で客席の雰囲気が随分異なるが、特に使い分けはしておらず、静かに飲みたいお客さんは2階に行くなどしていた。

ムーランルージュ2階

 3階がロッカールームで、4階より上に行くことはなかった。昔は3階まで営業フロアとして使っていたという話を聞いたことがあるという。

ムーランルージュ4階に掲げられた木板

 その時は4階がロッカールームだったと思われるが、木板に彫られた精勤賞などの掲示は、50年以上前のものだろう。

柳ヶ瀬から次々と姿を消すキャバレー

 いずみさんの在籍期間中にも、柳ヶ瀬からキャバレーが次々と姿を消した。

 当時、柳ヶ瀬には紳士の社交場と言われたキャバレーが10軒以上あった。数百人を収容する大箱のグランドキャバレーと、ムーランルージュのような一般的なキャバレーに大別される。後にお色気ありのピンク系キャバレーも登場するが、いずれも消滅していった。最後まで残ったのが、ムーランルージュだ。

ムーランルージュ2階

 同じ会社が経営するキャバレーが閉店する度、女の子がムーランルージュに移籍してきた。そのうち、他社の閉店したキャバレーからも移籍してくるようになり、ムーランルージュだけは賑わっていった。

 ただし、お店に関わる人々の平均年齢は年々上がり、ホステスさんは50~60歳が中心。お客さんもそれ以上が大半を占めるようになった。そのうち、生演奏はカラオケの機械に取って代わられた。

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