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 山王病院は会見を開き、集まった大勢の記者の前で「全治二週間」と発表した。

 敬子は自宅を離れ、病室の隣に部屋を取って付き添いにあたった。

 レスラーも交代で手伝いにやって来た。田中米太郎、ミツ・ヒライ、アントニオ猪木、上田馬之助、本間和夫といった面々である。

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 力道山は彼らに「蕎麦でも取るか」「饅頭でも食ってけ」と優しい言葉をかけたが、猪木にだけは「お前はここに来なくていい」「稽古はやったのか」「今朝は何km走ったんだ」と厳しく言った。病室でも特別扱いだった。

台所に立つ力道山と妻の田中敬子さん ©文藝春秋

「よく『力道山は入院中にサイダーを飲んだ』とか言われてたけど、飲んでいません。水分は厳禁だったから、私が湿らせたガーゼを口に当てたりしたんです」(田中敬子)

 長谷和三の報告書には「経過良好」の文字が記されており、むしろ、退院後の予定が話柄の中心となった。「伊豆がいい」「いっそ、ハワイに行くか」と口々に言い合った。

 十二日水曜日には、二所ノ関部屋時代の後輩で、日本プロレス幹部である芳の里淳三の結婚式が開かれた。そもそも、力道山夫妻が媒酌人をつとめる予定で、新郎新婦が披露宴会場から、そのままの衣装で現れると、涙を流さんばかりに喜んだ。

 誰もが快方に向かっていると思った。

「俺はまだ死にたくないんだ」

 容態が急変したのは十二月十五日の朝である。回診に来た院長の長谷和三が「様子がおかしい」と言い出したのがきっかけだった。

「血圧も下がっているし、腹膜炎を起こしているようだ」

 急遽、再手術が決まった。手術室に運ばれながら、力道山は敬子にこう言った。

「俺はまだ死にたくないんだ」

「何を言うんです。大丈夫ですって」

「いいか、金はいくらかかってもいい。何とか助かるようにしてもらってくれ」

 ストレッチャーは手術室に消えた。執刀は前回と同じく、聖路加国際病院の上中省三が呼ばれた。

 再手術が終わったのが、午後四時である。

「奥さん、手術は成功しました」

 院長の長谷和三が言った。

「本当にお世話になりました」と敬子が深々と頭を下げると、長谷は言った。

「一度、自宅に戻ってはいかがですか。ご主人も今日は眠ったままかと思います」

 そう言われて「そう言えば、お風呂に入りたい」と六日ぶりに帰宅した。

 入浴後、寝室に入ったが、どうも寝つけない。

 妙な胸騒ぎがする。