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「想像を絶する激痛」をもたらす病

 大人の男も少年も各自が耐え抜くしかないことは、バイロンもわかっていた。だが、ウェイジャー号がルメール海峡を抜けたばかりの3月7日、何人もの仲間がもはやハンモックから起き上がることもできなくなっていることに気づく。皮膚が青く変色し始め、やがて炭のように黒くなった。その状態は、ウォルター牧師の言葉を借りれば、「体中にびっしりと黴が生えているよう」だった。

 足首はとんでもなく腫れ上がり、体をむしばむそれが何であるにせよ、腐食性の毒のごとくに、太腿から尻、そして肩へと体を上に向かって進んでいった。教師のトマスは、この病に罹った際、初めは左足の親指に軽い痛みを感じただけだったが、間もなく関節のこわばりと皮膚のただれが全身に広がっていることに気づいたと振り返っている。この病は「膝、足首、足指の関節にとんでもない痛みを伴うので、罹る前は、そんな痛みは人間の生理では耐えられないと思っていた」とも。

 やがて、バイロンもこの恐ろしい病に罹り、この病が「想像を絶する激痛」をもたらすことを身をもって知ることとなった。

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 この災厄の魔の手が顔に及ぶと、想像上の怪物さながらになる者もいた。目は充血して腫れ上がった。歯は抜け、髪の毛も抜け落ちた。その吐く息は、バイロンの仲間の一人が言う、すでに死神が迎えに来たかのように不快な臭いを放った。体をつないでいる軟骨が緩んできたようにも見えた。場合によっては、古傷がふたたび出現することもあった。

 50年以上前のアイルランドでのボインの戦い〔1690年のイングランド軍とアイルランド軍の戦い〕で負傷したある男の場合、その時の傷口が突如として開いた。「そればかりか、さらに驚くべきことが起こった」とウォルター牧師は記している。今度は、ボインで骨折して治っていたはずの骨が、「まるで癒合などしていなかったかのよう」に、ふたたび折れてしまったのだ。

壊血病が深刻な事態を引き起こす

 さらに、感覚にも影響が出た。ある瞬間は牧歌的な小川や牧場の幻影に陶然としているのに、次の瞬間には自分がどこにいるかに気づき絶望に打ちひしがれるのだ。ウォルター牧師は、この「奇妙な気力の落ち込み」の特徴は「歯の根が合わなかったり、体が震えたり、さらには……身も世もなく怯えたりすること」だと指摘している。ある医師はこの症状を「魂そのものの崩壊」と呼んだ。バイロンは、乗組員何人かが精神錯乱に陥るのを目の当たりにした。この病は「脳に入りこみ、彼らは完全にいかれてしまった」と仲間の一人が記している症状を目にしたのである。

 乗組員たちが苦しめられていたのは、ある英国の船長が「海の疫病」と名づけた壊血病だった。他の誰もがそうであったように、バイロンもどうしてこの病気に罹るのかは知らなかった。海に出て少なくとも1カ月以上経ってから乗組員を襲うこの病は、帆船時代には大きな謎だった。砲撃戦、海難事故、難破、その他の疾病といった他の原因による死者の総数より、この病による船乗りの死者のほうが多かった。

 アンソンの艦隊の場合、この壊血病の症状はまずすでに弱っていた者に現れ、続いて元気だった乗組員の間に広がり、きわめて深刻な事態を引き起こした。日頃冷静沈着なアンソンも、「あの病の恐ろしさについてことさらに言及する気はない」とした上で、「だが、私たちがこれまでに罹ったどんな病も比べものにならない」ほど深刻であると報告している。