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首の回りに奇妙なアザのある死体が…「仲間が絞め殺したのでは」海で遭難した145人の男たちによる“極限状態”の無人島生活

『絶海――英国船ウェイジャー号の地獄』より#2

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 1740年、スペインの宝船に奇襲をかけるためにイギリス・ポーツマスを出港したウェイジャー号は、南米大陸最南端のホーン岬を周る航路の途中で大岩に挟まって、船体が引き裂かれ難破してしまう。

 250人から145人に減ってしまった乗組員たちは命からがら近くの孤島に逃げ延びたが、それから極限状態のサバイバル生活が幕を開ける。

 ここでは、生存者の日誌や証言をもとに「ウェイジャー号」の運命を克明に描き出すノンフィクション『絶海――英国船ウェイジャー号の地獄』(早川書房)から一部を抜粋して紹介する。

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 森の中で発見した小さな先住民の住居、船から脱出する際に使った小型艇3艘、沈没寸前の船から引き揚げたわずかな食料……限られた資源と指揮権を巡り、漂着者たちの関係は徐々に緊迫したものになっていく。一線を越えてしまうものが現れるまで、そう時間はかからなかった――。(全3回の2回目/最初から読む

【人物紹介】
デイヴィッド・チープ(1697~ 1752年) 遠征中に一等海尉からウェイジャー号の艦長に昇進。スコットランド出身。借金苦から17歳で海軍に入隊した苦労人。

 

ジョン・バルクリー 掌砲長。准士官。天性のリーダー気質の持ち主。帰還後、船匠長であり友人のカミンズとの連名で航海日誌を出版。

 

ジョン・バイロン(1723~ 1786年) 士官候補生。貴族の次男。16歳で遠征に参加。帰還後、航海日誌を出版。後の詩人バイロン卿の祖父。

 

ジョージ・アンソン(1697~ 1762年) センチュリオン号艦長。ウェイジャー号を含む小艦隊を率いる代将。無口だが冷静沈着で、部下に慕われる人格者。

◆◆◆

遭難後から1週間…蔓延する不信と食糧危機

 デイヴィッド・チープ艦長が先住民の住居から出てきた。拳銃を携えている。みなは、まるでチープの秘密を知ってしまったかのようにうろんげにチープを見つめ続けた。島に上陸してから1週間も経たないうちに、チープは、自分たちの苦境の全容を知った者たちからの信頼を失いかねない危機に直面していた。

 小型艇3艘では長旅を乗り切れないばかりでなく、小さすぎてほとんどの者が乗れなかった。さらに、もっと大型の船を建造する道具や材料が手に入ったとしても、出来上がるまでには何カ月もかかる。冬が近づいているので、当分の間この島に足止めされることになるが、すでに体にも心にも衰弱の兆しが出ていた。

※画像はイメージ ©AFLO

 生き延びるためには、団結することが最も重要だとチープは思っていた。チープは直感でそう思ったのだが、これは後に科学的に証明されることになる生理現象だ。

 1945年、「ミネソタ飢餓実験」として知られる人間の食餌制限に関して現代における最も包括的な研究が行なわれ、科学者たちは飢餓が個体群に及ぼす影響を評価した。6カ月間、36人の男性志願者が摂取カロリーを半分に制限された。なお、被験者は全員が独身の健康な平和主義者で、仲間とうまく付き合う能力を示していた。

 半年後、被験者それぞれが体重の約4分の1が落ち、体力と気力を失っていた。そして、いらいらしたり落ち込んだり集中力を欠いたりするようになった。被験者の多くは、自己犠牲を払うことで修道士のような深い精神性を得られると期待していたのだが、むしろ悪巧みをしたり食べ物を盗んだり、殴り合いの喧嘩をしたりするようになった。「無関心や不機嫌や食べ物に対する高飛車な偏見で、私はどれだけ多くの人を傷つけてきたのだろう」とある被験者は記している。

 また別の被験者は「自殺するんだ」とわめき、ついで科学者の一人に向き直り、「おまえを殺してやる」と言った。この被験者は食人を妄想するようになったので、実験から外さざるをえなかった。この研究結果をまとめた報告書は、志願者たちが「自分たちの倫理観や表面的な社会正義がいかに薄っぺらだったか」に衝撃を受けていたと指摘している。

 ウェイジャー号からの遭難者たちは、すでに航海で体力を消耗していた上、前述の被験者よりも摂取カロリーははるかに少なかった。置かれている環境もはるかに過酷だった。環境に関してはまったくコントロールされていなかった。チープ艦長は、体調が優れず足を引きずっていたが、自分の抱える苦悩に対処しなければならなかった。ところが支配的だった。他の士官たちに相談したがらなかったのだ。