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周囲の土地に自分たちの名をつけ、自分たちの物に

 変化の表れは他にもあった。あるテントは簡易病院になり、軍医とその助手が病人の面倒を見た。飲み水は、空の樽に雨水を溜めた。生存者の中には、ウェイジャー号から引き揚げた布の切れ端をぼろぼろになった服に縫い付ける者もいた。焚き火の火は絶やさなかった。暖をとったり調理したりするためだけでなく、煙が立ち上っていれば通りすがりの船に気づいてもらえるかもしれないというわずかな可能性への期待からでもあった。そして、浜に流れついたウェイジャー号の船鐘は、船上でと同じように食事や集会の合図として鳴らされた。

 夜になると、一部の者は焚き火を囲み、老練の船乗りたちの紡ぐ海の逸話に耳を傾けた。そして、古参のジョン・ジョーンズは、こう心の内を話して聞かせた。ウェイジャー号が座礁する直前に船を救おうとみなを鼓舞したが、本当に生き残れる者がいるとはじつは思っていなかったんだ。もしかしたら、我らは奇跡の証なのかもしれない、と。

 引き揚げたわずかばかりの本を読む者もいた。チープ艦長の手許には、サー・ジョン・ナーボローが1669年から1671年にかけてパタゴニアに遠征した時の記録を記したぼろぼろになった本があった。バイロンはその本を借り、希望と興奮が目白押しの冒険の世界に逃避した。

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 遭難者たちは、周囲の土地に自分たちの名をつけ、自分たちの物にした。目の前の浜はチープス湾〔チープの湾〕と命名した。バイロンが登ったことのある、一行の集落を見下ろす山は通称ミザリー〔悲惨の意〕山となり、後にこの最高峰の山はアンソン山と呼ばれるようになった。さらに、自分たちの新たな家となった島には、以前の家であった船にちなんでウェイジャー島〔現在は、スペイン語読みでウアヘル島〕と名づけた。

首の回りに奇妙な痣のある死体

 わずか数週間で、浜の貝はほぼ採り尽くしてしまい、難破船から引き揚げた食料もどんどん減っていった。みなはふたたび飢えに苦しめられるようになり、各自の日誌には飢えに関する記述が延々とつづられている。「食料を求めて一日中狩りをする……食べ物を求めて夜ごとに歩き回る……食べていないので力が出ない……ずいぶん長いことパンの一欠片も、まともな食事も一切口にしていない……ひもじさが……」

 バイロンは実感していた。『ロビンソン・クルーソー』の着想の元となった孤独な遭難者アレクサンダー・セルカークとは違い、今自分が対処しなければならないのは、自然界で最も予測不可能な生き物、すなわち絶望した人間であると。「食料調達が困難で、自分たちの置かれた状況の改善がほとんど見込めないせいで、不機嫌と不満が今や吹き出していた」とバイロンは記している。

 船匠助手のミッチェルと仲間たちは、顎髭が長く伸びた姿で虚ろな目をして島のあちこちをうろつき回るようになり、もっと酒を寄こせと要求し、自分たちに楯突く者を恫喝した。バイロンの友人であるカズンズは、どうやらワインを配給分以上に飲んだらしく、ひどく酔っ払っていた。

 ある晩遅く、チープ艦長の小屋の隣にある貯蔵テントに誰かが忍び込んだ。「貯蔵テントに押し入られ、大量の小麦が奪われた」とバルクリーは記している。おかげで、全員の生存そのものが脅かされる。バイロンの表現を借りると、「この上なく凶悪な犯罪」だった。

 また別の日には、ミッチェルとその一派がウェイジャー号の探索に出た後、ミッチェルたちと合流しようとバイロンと仲間たちも向かった。着いてみると、ミッチェルと一緒に出かけた1人が半分水没した甲板に横たわっていた。男の体はぴくりともせず、その顔は無表情だった。男は死んでいて、首の回りに奇妙な痣があった。証明することはできないものの、沈没した船から引き揚げた戦利品を男が独り占めしようとしたので、ミッチェルが絞め殺したのではないかとバイロンは思った。