1ページ目から読む
3/6ページ目

軍医が死体を解剖したが、原因を解明できず

 いつ止むとも知れぬ嵐が続くある晩、バイロンはびしょ濡れでがたがたと音を立てる寝場所で眠ろうとあがいていたが、八点鐘が鳴ったので次の当直のためにとにかく甲板に出ようとした。よく見えない迷路のような船内をよろめきながら進んだ。倒れて火事になる可能性があるため、ランプが消されていたのだ。司厨長でさえ竈に火を付けることを許されず、乗組員たちは肉を生で食べるしかなかった。

 バイロンが甲板に出ると、吹き付ける風が冷たかった。驚いたのは、交替要員が数十人しかいないことだった。「乗組員の大半」が「疲労と病によって動けない」状態だったとバイロンは記している。

※画像はイメージ ©AFLO

 どの船も手が足りず操船不能になる恐れがあった。旗艦センチュリオン号の軍医長が命を落とした後、ウェイジャー号からセンチュリオン号に異動してきた軍医のヘンリー・エトリックは、蔓延を食い止めようと試みる。センチュリオン号の最下甲板に降りていくと術衣に身を包み、鋸を手に死者の体を切り開き、病気の原因を明らかにしようとした。ひょっとしたら、死者が生者を救えるかもしれない。

ADVERTISEMENT

 エトリックは調べた結果を報告した。犠牲者の「骨や肉をそぎ落としてみると真っ黒」で、血は独特の色合いで「黒と黄の分泌液」といった様相だった。何体か解剖した後で、この病は極寒の気候が引き起こしたのだとエトリックは断ずる。だが、この病は熱帯気候でも同じように蔓延すると指摘されると、原因は依然として「まったくの謎」であるとしぶしぶ認めた。

 この病は急激に広がり、嵐の中の嵐と化した。エトリックがセンチュリオン号に異動した後にウェイジャー号にやって来た軍医はトライアル号のウォルター・エリオットだった。バイロンはエリオットのことを、度量が大きく行動力があり、非常にたくましい青年と評した。人一倍長生きしそうな人物に見えたのだ。エリオットは、やはりこの病に罹り闘っていたチープ艦長を献身的に世話した。艦長が「このような時に病気になるとは」、「きわめて不幸なことだ」とエリオットは述べている。

薬を服用したせいで死者が続出

 チープやバイロンたち病人を救おうと、エリオットはありとあらゆる手を尽くした。だが、既存の治療法はどれも、その裏付けとされる理論と同様に役に立たなかった。たとえば、少なからぬ者が人間にとって不可欠なものが土の中にあると考え、病人を顎まで土に埋めることが唯一の治療法だと主張していた。ある士官は別の航海で、「20人の男の頭が地面から突き出している」のは異様な光景だったと振り返っている。

 アンソンの遠征隊が海に封じ込められている間、主に処方された薬はジョシュア・ウォード医師〔1685~1761〕の「ピル・アンド・ドロップ〔丸薬と液薬〕」と呼ばれるもので、「さまざまな驚くべき突然の治癒」をもたらす効能があると宣伝されている瀉下薬だった。

 アンソンは、自分が耐えられないようなことは部下にさせたくないと考え、この丸薬をまず自分が飲んだ。教師のトマスは、この薬を飲むと大半の者が「吐き気と便意の両方で非常に激しい」症状に襲われ消耗したと記している。ある乗組員は一粒飲んだだけで鼻孔から血を流し始め、瀕死の状態になった。ウォードは藪医者だったのだ。その薬には、人体に害となる量のアンチモンと、一部の者が疑念を抱くヒ素が含まれていた。

 この薬を服用すると病人は必要な栄養素が奪われ、そのせいで数多くの死者が出たと見られる。軍医のエトリックは、後にこの航海中に病死することになるが、自分ができるどんな治療を施しても効果がなかったと悲観している。