昨年(2023年)大晦日のNHKの紅白歌合戦では、総合司会を橋本環奈・浜辺美波・高瀬耕造アナウンサーとともに有吉弘行が務めた。筆者が注目したいのは、有吉がその大仕事を控えた前日の深夜に『クイズ☆正解は一年後』(TBS系)の生放送に出演していたことである。
2013年より続く毎年恒例の同番組では、出演者が年頭にこれからの1年間を予想するさまざまな出題に答えたVTRを収録し、年末の生放送ではそれを見ながら正解を確認していく。出題のなかには「今年離婚する芸能人は?」といったきわどいものもあり、出演者のトークも毒舌多めとなる。昨年でいえば、それまで毎年のように離婚を予想されていた某夫妻について、本当に離婚したこの年にかぎって誰も予想しなかったと司会の田村淳が指摘すると、有吉がすかさず「飽きちゃったんだよねえ」と返していた。
昨年の出来事でそれ以上に予想できなかったのは、この番組のレギュラーである有吉が司会、バカリズムが審査員として紅白に出演したことだろう。有吉の場合、先述の生放送にはNHKでのリハーサルを終えたあとに駆けつけ、それが終わった十数時間後には紅白の本番を迎えたことになる。まったく対極的な番組に同じ日に出て、そのどちらでもしっかりと役目を果たしてしまう彼に改めて感嘆させられた。
ウケに貪欲だった幼少期
有吉はきょう5月31日、50歳の誕生日を迎えた。広島で生まれ育った彼は、小学生の頃からお笑いの世界に憧れ、ウケを取ろうとするあまり、猫の糞を握りつぶしたりアリを食べたりと奇行を繰り返していたという。それでも高校2年頃には自分でネタをつくって演じ始めた。《最初に作ったのは、周りの人間の悪口みたいなヘンなやつ》だったというのが(『月刊カドカワ』1997年5月号)、のちの毒舌キャラの片鱗を感じさせる。
高校卒業後は、大学推薦を蹴って、NSC(吉本総合芸能学院)に入るつもりでいたが、テレビ番組で漫才師・オール巨人の公開弟子オーディションをやると知って、急遽そちらを受けて合格。しかし、要領が悪くて失敗を繰り返したあげく、ほかの弟子との喧嘩が原因であえなく破門となる。ここで一旦広島に戻り、バイトで金を貯めて上京した。その際、小学校の頃からの同級生である森脇和成を誘い、「猿岩石」のコンビ名でオーディションを受けて太田プロダクションの所属となる。それから半年もしない1996年4月には、当時の人気番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)の企画で、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する旅へわけもわからないまま送り出された。
無名のコンビは、香港を振り出しに行く先々で困難に遭遇しながらも、半年をかけてゴールのロンドンにたどり着き、一躍、時の人となる。帰国して成田空港に着くや、プロデューサーから「小さい劇場でネタをやってもらうから」と連れて行かれたのが西武球場(現・ベルーナドーム)で、集まった3万人の観衆に出迎えられた。自分たちが日本で有名になっているとは知らなかった二人は、このサプライズに呆然とするばかりだった。