「視覚障害があり、救命活動でPTSDを患ったという経験が珍しいからか、消防や海上保安庁の方向けの研修で話をすることがありました。私自身も『このまま救命活動をやめたくない』という思いがあり、救急医療の大学院に進学しました。体調悪化で休学をした時期もありましたが、なんとか今年3月に大学院の修士課程を終えて、救急救命学修士を取りました」
これまでにも救命活動を続けている西村さんだが、事件現場の救命は秋葉原事件が今のところ最初で最後だ。
「僕は事件の直接の被害者ではありませんが、僕の人生もぐちゃぐちゃになりました。犯罪被害者等支援給付金や、PTSDで通院していた6年間の医療費の支給は受けられましたが、大学を卒業後にPTSDの症状が悪化しました。生活の支障はあっても給付金の算定基準は事件当時の収入で、僕は大学生だったので、支給額は0円。もともと視覚障害があり、さらに精神疾患があるとどこも雇ってくれない。だからブラック企業でもやめられず、倒れるまで働きました」
「普通の仕事にはもうつけないなって感じます」
自力ではどうにもできない人生を送るようになっていた西村さんは自殺を図ったこともある。
「今でもやっぱり月単位で体調を崩してしまう状況です。本当に就業はできないだろうなって感じます。今後は、お金のかからない論文博士を目指しています。普通の仕事にはもうつけないなって感じます」
西村さんは救命活動により後遺症を負い、秋葉原からは足が遠のいた。ただ、事件のあった6月8日だけは毎年供養のために現場を訪れるという。
「3人目の方は無念だっただろうなという思いがあります。他の被害者の方に対しても供養の気持ちだけは伝えたい。救命活動をした現場付近と、献花台に花を置いて手を合わせます。ただ去年は献花台のところですごく写真を撮られて、フラッシュバックが起きてしまって気分が悪くなりました」
秋葉原事件から16年が経った今も、西村さんの後遺症は続いている。
「救命処置にあたって、その後遺症によってその後の人生が崩れてしまった人間がいることを知ってほしいです。また、今後、私と同じように応急手当てにあたって後遺症を受けた人がちゃんと助けられる社会システムが構築されてほしいと思います」