世界のF1ブームを牽引した伝説のドライバー、アイルトン・セナの死から30年が経った。1984年からF1に参戦し、41度の優勝、3度のワールドチャンピオンに輝いたセナは、日本でも「音速の貴公子」の愛称で親しまれたが、94年5月1日、イタリアのイモラサーキットで首位を走行中、34歳の若さで命を落とした。しかしその人気は現在も衰えることはなく、ネットフリックスでは彼の半生を描いたドラマ『セナ』が年内に配信予定だという。
なぜセナはこれほどまでに人々を惹きつけるのか。元F1ドライバーでセナとチームメイトだった中嶋悟氏、ホンダのエンジニアとしてセナを担当した木内健雄氏(東陽テクニカ取締役CTO)、F1実況中継で人気を博したアナウンサーの古舘伊知郎氏が、いま、セナの素顔を語る。
走らせたら、誰よりも遅かった
〈中嶋 30年も経つのに、セナに関するインタビューは毎年のように受けてる気がする。何回特集するんだって思うけど、それだけ、彼の人気を実感するよね。
古舘 中嶋さんはロータス・ホンダでセナのチームメイトですからね。木内さんも、ホンダのエンジニアとしてセナの担当をされていました。ホンダを離れた今もセナについて語る機会は多いですか。
木内 そうですね。インタビューはこれまでも受けてきましたけど、彼を思い出す時、僕はファンが思うようなかっこいい姿や超人的な姿は浮かばないんですよ。
古舘 そうなんですか?
木内 まず、第一印象がよくなかった。僕は87年のベルギーGPが初めてのF1の現場だったのですが、ガレージに行くと、セナが工具の入った赤いツールボックスの上にデンと座っているんですよ。サングラスをかけて偉そうにしていてね。メカニックにとって工具は大事な仕事道具だから、「許せん!」と思ったのが最初の印象でした。
中嶋 でもセナは、自分のマシンのサイド・ポンツーン(車体の側面)に座られると怒るんだよ(笑)。
木内 そう。レース以外では抜けているところの多いヤツで、身体能力も決して高くはありませんでした。ある日の休憩中、マシン用のスピード計測装置を使って、チームのみんなで駆けっこの速さを測って遊んでいたんです。ドライバーなら足も速いのかと思って、「セナも走ってみろよ」って走らせたら、誰よりも遅かった。本人は本気だけど、誰もが「本気で走ってるの⁉」と驚くくらい〉