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 木内 それはたしかに(笑)。

 中嶋 まあ、僕ができないから認めないっていうのもあるんだけど。

 木内 でも、1秒間に6回っていうのは意識してできるテクニックではないですね。セナはチームメイトのゲルハルト・ベルガーに一生懸命セナ足を教えてましたけど、ベルガーは「できねえ!」って投げ出していましたから。

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木内氏 ©文藝春秋

 中嶋 そう。貧乏ゆすりに近い。

 古舘 「セナ足」は「セナゆすり」だったのか……。

 中嶋 でもセナは、あれでリズムを取っていたのかもしれない。走るって、マシンとドライバーでリズムを刻むことだから。

 古舘 なるほど。

 僕、先日亡くなったフジコ・ヘミングさんにインタビューをしたことがあるんですが、彼女は楽譜にはない黒鍵をポンと弾いたり、いわゆるミスタッチがわりと多いんですって。でも、ファンからしたらその乱れこそが色気で、堪らないんだそうです。ご本人は「賛否両論ですね、私の演奏は」と仰っていましたけど、コンピューターのように正確な演奏ではなくて、「人間フジコ・ヘミング」を感じる演奏だからこそ聴衆を魅了していた。これはセナ足にも共通するような気がします。セナ足も乱れで、そこにファンは人間的な色気を感じていたのかもしれません。

 中嶋 たしかにね。例えばプロストはよく「完璧」と称されていたけど、一緒のレースを走っていても、本当に綺麗にオン・ザ・レールで走っていく。理想的な走りなんだけど、だからこそ、僕でもピントが合えば同じようなスピードでいけるんじゃないかと思う。でもセナの場合はセナ流に崩して走るから、とても真似できない。簡単にいえば、プロストが見ている世界は想像できるけど、セナが見ていた世界は想像ができないんだよ〉

 6月10日(月)発売の「文藝春秋」7月号では、「音速の貴公子」誕生の裏側や、F1が「ヨーロッパ文化」だった時代にセナが抱いていた想い、セナと最後に交わした言葉など、鼎談記事全文「没後30年 アイルトン・セナよ、永遠に」を掲載。「文藝春秋 電子版」では、6月9日(日)に先行公開される。