正妻扱いのエミーリエ・フレーゲとの間に子はできなかった代わり、モデルたちとの間に十四人(認知されたのは六人との説あり)。だがおそらくそれ以上の数の子を作っているのではないか。自分の子と認めた母子にはいくばくかの金を渡したが、父親としての役目は全く果たさなかった。自分自身も貧しい家庭に育ちながら、多くのウィーン男と同じく底辺の女を性欲のはけ口としか見なかった。相手もベッドで喜んでいると自惚れていたかもしれない。自分の子にすら冷淡で、わずかの遺産も与えていない。
クリムトはしかし、妊娠した女体そのものには強い関心を示している。『希望Ⅰ』がその証拠だ。妊婦は馴染のモデルで、お腹の子がクリムトの子かどうかはわからない。彼女は妊婦姿を描かれるのを嫌がったが、クリムトの説得に負けたという。本作は分離派展に出品しようとして検閲官から「卑猥」の烙印を押され、叶わなかった。
悪女のイメージをもつ赤毛がほんとうにこのモデル自身のものか、クリムトが敢えて赤毛にしたのかは不明だ。彼は妊婦の体は「醜悪」でも、腹には「子どもという美しい希望」があると語っている。その言葉と裏腹に、妊婦の周囲には巨大なナマズ(男根の象徴)や精子や死神、さらに病や絶望などを象徴する陰鬱で歪んだ顔を並べている。
クリムトは若く美しい女性の肉体は愛しても、際限なく子を産み続ける女性性というものを実は憎んでいたのだろうか。それとも女の心は厄介すぎて、肉体としか関わりたくなかったのだろうか。思えば彼は終生、実家で母親や妹たちと暮らした。エミーリエとすら、いっしょに暮らしたことは一度もなかった。
代表作『死と乙女』の悲惨な背景
弱い立場の女性に冷酷なのは、弟子筋にあたるエゴン・シーレも同様だ。
クリムトのモデルだったヴァリを譲り受けたシーレは、前章で書いたように、彼女を愛人にして転々と居場所を変えた。ヴァリはシーレのために何度もポルノまがいの際どいポーズを取ったり、未成年の少女を集めたり、収監された彼に差し入れしたりと献身的に支えたが、報われることはなかった。中産階級出身のシーレにとって、ヴァリはいくら搾取しても踏みつけてもいい存在だったのだ。