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 そして気づく。周囲の樹々が鬱蒼としているのに比べ崖上に生えた樹々が疎らで若いことに。たぶん鳥居が建てられたときくらいから育った木立ではないか。だとしたら、これは何らかの神様……か“神様的なもの”を祀った祠を丸ごと土砂で覆って「なかったこと」にした結果ではないだろうか? 

〈廃神〉〈埋め神〉〈穢れ神〉。様々な言葉が浮かぶ。地中に眠る荒ぶる何者かが自然の一部に還るまで、細心の注意が払われているように感じた。

 

祟りを封じた「京都人ならではの得意技」

 そうだ。もうひとつ廃神の例を紹介しておこう。こちらは賑やかな街中にある。そして埋めるのではなく、埋めてあったものを掘り出した形で残っている。名を〈繁昌神社〉という。現在商売“繁盛”の神様として祀られている社ではない。そこから西へ一筋入ったガレージの奥にある奇妙な塚のこと。

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 注連縄を巻かれた岩を中心に大小の自然石や碑、お地蔵さんなどが曲がりくねった樹木とともに吹き寄せられてガッチガチに固められている。これこそが神社の本体、繁昌神社のオリジナルである〈班女塚〉なのだ。『宇治拾遺物語』に記されているので起源は少なくとも13世紀前半にまで辿れる。

 
 

 未婚で死んだ班女という娘を葬送しようとしたところ目的地(当時は野ざらしが一般的)で棺を開くと姿を消している。家に戻ってみればなぜか死体が残っている。それが何度も続いたので、その場に埋葬して弔った……というのがこの塚の始まり。

 さて恐ろしいのはここから。班女塚は大いに祟るようになり、とりわけ妊婦が通りかかると、ことごとく流産させてしまったという。それが原因で地域一帯はすっかり荒れ果て無人になったのだとか。もちろん供養は行われた。女の霊を慰めるため美男を集めて裸神輿まで出したらしい。

 

 だが最終的には京都人ならではの得意技で祟りを封じた。すなわち必殺「なかったこと」攻撃だ!

 班女(はんじょ)は繫盛(はんじょう)に通じるからとて名称を繁昌に変更してその起源を「なかったこと」にすると同時に、塚そのものも被さった土を取り除いて「なかったこと」にしてしまったのである。あまりに馬鹿馬鹿しい駄洒落に班女もあきれたか祟りは消えた。いろんな意味ですごいよ京都人。

怖いこわい京都 (文春文庫)

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入江 敦彦

文藝春秋

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