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谷底の町らしい曲がりくねった道を進む。飲食店を横目に坂を登ると「港町」らしくない光景が…

 大岡川沿いは緑道が整備されていて、くねくねと微妙に曲がりくねりながら流れの向きは南から北へ。ほとんど最後まで京急線に沿って流れ、みなとみらいで東京湾に注ぐ。いわば、横浜の横浜らしいところへと流れ出る、横浜を象徴する川といっていい。その川沿いに上大岡という副都心。こうして考えると、上大岡が副都心になったというのも当たり前のことのように思えてくる。

 

 それはともかく、大岡川を渡った向こう側は、いくつか飲食店などが集まる一角もあるけれど、どちらかというと住宅地としての趣が強くなってくる。この町は谷底の町だから、川を渡った少し先ではもう上り坂。丘陵の上には住宅地、そして谷底には副都心。これは戸塚も二俣川も似たような構造をしているから、横浜のような丘陵地が大半を占める都市にとっては当たり前の光景なのだろう。

 

 坂を登って住宅地、という町の構造は、大通りとは反対の上大岡駅東側でも同様だ。東側は、駅を出るとすぐに急な上り坂が迫っている。えっちらおっちらと登ってゆくと、もう瞬く間に谷底の上大岡を見下ろせる高台に。そこに並んでいるのはどれもこれもが徹底的な住宅ばかり。

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 大きなマンションもあるし、長い歴史を刻んでいそうな大きな御邸宅、はたまた築年数の浅そうなキレイな戸建て住宅も。つまりありとあらゆる多種多様な住宅が肩を寄せ合っているのが横浜の高台だ。横浜というと、港町のイメージが強い。けれど、こうした丘陵地の上の住宅地というのもまた、実に横浜らしい光景といっていい。

高台の上から黒船が見えた頃、「上大岡」は…

 ちなみに、上大岡駅東口の高台を登りきり、さらに東へと歩いて行くと久良岐公園という大きな公園がある。眼下に横浜の港まで見通すことができる絶景の公園なのだとか。そして、古の人々もこの高台から海を望み、黒い煙を上げながらやってきたアメリカはペリー艦隊、黒船の船団を眺めたのだという。

 

 幕府のお偉いさんはともかくとして、一般庶民にしてみれば初めて目の当たりにする西洋の力。まだまだ海沿いも小漁村に過ぎなかった当時の横浜の丘の上。そのとき、人々はどんな気持ちで黒船を眺めていたのだろうか。

 そして、こちらもまだまださしたるものがあるわけではなかった河谷の小村・上大岡も、黒船来航によってかつてない喧噪に置かれていた。