家族への釈明と徹夜で書いた声明文
16日の午前中。小山田、高橋、事務所の社長である岡の3人は、今後の対応を協議するため、事務所に顔を揃えた。重い空気の漂う会議だった。
この日、『毎日新聞』朝刊の紙面には、デジタル版と同じ記事が掲載されていた。また、『日刊スポーツ』は、『クイック・ジャパン』から、より具体的にいじめが描写された部分を抜き出して記事を配信。タイトルは「みんなでプロレス技かけちゃって/小山田圭吾氏の障がい者いじめ告白」だった。
その矢先に、事務所のインターホンが鳴った。
「『朝日新聞』ですけど、話題になっている過去のいじめ発言の件について、小山田さんにお話を伺いたいのですが……」
すでに事務所の代表メールに、ワイドショーなどから取材の問い合わせは来ていた。だがメディアにインターホンを押されたのは初めてだった。その場に緊張が走った。
玄関先で対応したのは岡だった。今日の午後、なんらかの文書を出す旨を伝え、ひとまず、引き上げてもらった。とうとうここまできたか。高橋は、対応を急ぐべきだと考えた。
「やっぱり、事務所として声明文を出したほうがいいと思います。このまま何も発信しなければ、さらに事態がよくない方向に向かうと思います」
そう言って、作りかけの声明文案を取り出すと、小山田がこう呟いた。
「僕も書いてきたんだ」
取り出した紙には、びっしりと謝罪と釈明の文章が綴られていた。
前日の夜は、小山田の家族にとっても、忘れることができない長い一夜だった。
リハーサルを終え、自宅に帰ってきた小山田は、自分が置かれた状況を家族からの報告で知ることになる。しかし、時間が経っても炎上は止まるどころか、すさまじい勢いで拡大し続けていた。どうすれば止めることができるのか。どうすれば、どうすれば……。小山田の心は乱れた。
追い打ちをかけたのは、知人の中にも、小山田を批判するポストがあったことだ。理由は「開会式の音楽担当という形で、五輪に関わった」からだ。コロナ禍での東京五輪開催に関しては、世論が割れていた。小山田の周囲には、どちらかというと、東京五輪開催に反対の立場の人が多かった。いじめ問題よりも、東京五輪に関わったことへの批判も噴出していたのだった。小山田が言う。
「小山田君にはがっかりした、五輪に音楽担当で関わるなんてダサい、むかつくとか書かれていました。知人からも言われて、暗い気持ちになってしまいました」
その一方で、知人が小山田を擁護するあまり、Xに過激な書き込みをして、逆に炎上。バッシングの対象となる「負の連鎖」も始まっていた。親しい人が巻き込まれ、ネット上で火だるまになっていく姿を見るのは、自分のこと以上に辛かったという。攻撃の対象には、息子の小山田米呂も含まれていた。
「仕事をしていても、状況をとりあえず把握しようとして、小山田がXとかニュースなどを気にしてしまうんですよ。でも、もう本人には見せたくなかった。どんどん状況が悪くなってゆくのを見て、なんとかしないといけないと思いました」(高橋)
そこで、XなどSNSの世界に飛び交う誹謗中傷から本人を遠ざけるため、小山田についてのニュースは家族が本人のかわりに確認し、本人に伝える。また、何か対応する必要がある時は、家族が高橋に連絡する、というルールを作った。
◆◆◆
炎上の渦中、「週刊文春」の取材に答えた小山田は、かつての雑誌記事で報じられた「うんこを食わせてバッグドロップ…」といったいじめの事実を否定した。
では、当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、テレビ番組のレギュラー、ライブ活動などを失い、1年近く実質謹慎――、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは。
発売中の『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』では、小山田本人への20時間を超える取材を含め、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに見えてきた、「炎上」の「嘘」を追う。
![](https://bunshun.ismcdn.jp/common/images/common/blank.gif)