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需要に沿った作品が発売されることは素晴らしいし、古い作品を若い人たちが楽しめるチャンスにもなるだろう。あるいは昭和レトロのように、時代が異なるものを今の目線で見た新鮮さを楽しむ可能性もある。
ただ、ノスタルジーが必ずしも価値の再発見・再評価となるわけでもないのだ。
スーパーファミコン向けタイトルのリメイク作品であるは、懐かしさを感じてもらうためか、ストーリー部分はなるべく原作を作り変えないという選択をとった。
しかし、レトロゲームをそのままリメイクしようとすると、齟齬が発生する。
たとえば、昔は解像度の低いドット絵だったので、細かい部分はユーザーがある程度自由に解釈して楽しめていたわけだが、3Dグラフィックで精巧に描かれるとそうはいかない。ストーリーも昔は大雑把で許されたが、いまはそうもならないのである。
そして、『聖剣伝説3 TRIALS of MANA』は、そのストーリー面が奇妙なことになっているのだ。例として挙げられる場面はいろいろあるが、なかでも筆者が苦笑いしてしまったラストシーンを紹介しよう。
ある主人公がラスボスにさらわれた弟を助け出そうとするのだが、実際に助け出す場面は描かれず、仲間から「私が助け出して送っておいたから」と伝えられるという雑な省略がなされ、打ち切り漫画のように急に話がしぼんでしまうのだ(これはオリジナルに忠実であるがゆえに発生している問題だ)。
こういった“昔だからこそ許された雑な展開”を“現在の美麗な3Dグラフィック”でやられると脱力してしまうわけだ。