2006年1月、ライブドア代表取締役社長の堀江貴文氏(当時)が、証券取引法違反の疑いで逮捕された。虚偽があったとされたのは、2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書である。

 粉飾決算から逮捕までのあいだにも堀江氏は、ニッポン放送の株を握ってフジテレビを買収しようとしたり、政界進出に失敗したりと、様々な形で世間を騒がせていた。

 ここでは、ネット起業家たちの軌跡を追った杉本貴司氏のノンフィクション『ネット興亡記』(日経BP)から一部を抜粋。堀江氏の「フジテレビ乗っ取り計画」は、どこまで進んでいたのか――。(全3回の2回目/続きを読む

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堀江貴文氏 ©文藝春秋

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「じゃ、うちに入ってよ」

 ライブドアによるフジテレビ買収計画は時間外取引やMSCBといった「奇策」によって現実味を帯びつつあった。ただ、権力者たちをあざ笑うかのようなやり口には、次第に批判の声も強まっていく。

 その中の一人が、堀江と同学年にあたる証券マンの園田崇だった。

 それは2月半ばの金曜日のことだった。ライブドアが時間外取引を利用してニッポン放送株を買い付けたばかりで、フジテレビとの攻防戦はまだ序盤だった。その日の夜、日興シティグループ証券の園田は、以前勤めていた電通時代の友人と六本木の焼鳥屋で飲んでいた。

 友人とは久々の再会だったが、話題はもっぱらライブドアだ。園田は数カ月前までニューヨークに駐在し、日本企業と米国の投資家の橋渡しをする仕事をしていた。ライブドアはクライアントの1社だった。投資家向け説明会のため渡米していた堀江と、ボストンで初めて会った時のことは、はっきりと覚えている。

「他の会社だと、日本から役員や社長が来て、投資家に対してパワーポイントとかで直近の業績を説明すると、すぐにQ&Aに入ります。堀江さんはいきなり『ライブドアでヤフーを超える』とか言うんですよね。業績よりどうやってヤフーを超えるのかをしゃべり続けるんです」

 帰国して学生時代からの目標だった起業の準備に取りかかろうとしていたところで起きたのが、ライブドアによるフジテレビ買収騒動だった。

「あんなやり方だと誤解されちゃうよね。俺、直接言っちゃおうかな」

 友人にそう言うと、酒が入っていた勢いもあり、ライブドアの財務部門に電話した。すでに夜の10時を過ぎていたが、たまたま電話に出たのが旧知の熊谷史人だった。

「あれ、クマちゃん、まだ会社にいるの?」

 手短に要件を伝えると、園田は「じゃ、今からそっちに行くから」と言う。酒の臭いも気にせず六本木ヒルズ38階のライブドア本社に押し入ると、熊谷に「もっとちゃんと丁寧に説明しないと誤解されますよ」と力説した。

 実は、園田自身、ニューヨーク時代に堀江がクライアントである投資家に対してヤフー超えの戦略として「マスメディアとの連携」を何度も口にしているのを目の当たりにしていた。フジテレビ買収計画がライブドアの戦略としては理にかなうものであることは理解している。ただ、テレビは言うまでもなく公共の電波を使う。資本の論理だけを押し通すやり方では、周囲の反発を招くだけだ。

「今のもの言いだと変な会社だと思われるだけですよ」

 園田が言うと、熊谷はこう返した。

「分かりました。じゃ、明日、堀江さんと直接会って話してくださいよ」