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 こんな経験を重ねていると、自分はガワがモテるだけで性格とか人格とかは相当ヤバいらしいということくらいは理解するのであって、その理解はますます私のノリを良くさせた。つまり周りが期待している振る舞いを敏感に察知しそれに合わせるのである。なので私は下戸(げこ)なくせに飲み会で重宝されるようになった。大学入学直後から広告代理店の、向こうにとってみれば接待の一環である合コンには必ず呼ばれ、接待相手のキー局プロデューサーなどに人身御供(ひとみごくう)のように差し出され、タクシーからアクション俳優よろしく飛び逃げたりもした。今で言う「港区女子」の走りみたいな生活は私のガワモテ意識を加速させ、何にでもキャビアやトリュフをかける料理の味や、人狼ゲームで使うインペリアルスイートの広さ、南の島での「from this to this」みたいな買い物の仕方とか、下品な無駄知識を教えてくれたけど、私がやらせないと判明するとすぐ交代させられた。いわゆるヤンキー文化圏で思春期を送った私には「彼氏以外と淫(みだ)らなことをしたらフルボッコ」という教えが刻まれていたし、パイセンたちには「やらせない方がモテる」と習っていたのだ。押忍! と、教えを守っていたけれど港区ではそれってノリが悪いことになるらしく、私はすぐクビになりもっと若くて綺麗な子たちが瞬時に取って代わった。代わりはわんさか溢れるほどいた。そりゃそうだよねとも、そりゃないよとも思った。つい最近も知人から、「月美はやれそうでやれないから全然ダメ。やれなさそうでやれるが一番良い」と言われ苦笑してしまう。とにかく当時の私は「誰か~! 私の中身も受け入れて~!」とノリに流されるよりとめどない自意識の洪水で溺れかけていた。幼かったのだ。今と何が違うのか自分でもよくわからないが。

ウツになって、ニートになって、婚活して

 結局私は大学にも行かず飲み会ばかりしてウツになった。キラキラ女子ライフが私には合わなかったのだと思う。下戸な私はあの煌(きら)びやかな日々をシラフで送るのに疲れ果てた。私は長らく引きこもって大学も退学し精神科に通うニートとなった。キラキラ女子友だちからは連絡も来なかった。

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 それから私は一念発起、婚活して結婚する。夫のことは勇者だと言わざるを得ない。私はとてもよくモテたけれど、それはあくまで観賞用で、既にトウが立って色褪(あ)せた沙羅双樹(さらそうじゆ)だったから。しかもだいぶ癖の強い沙羅双樹だ。誰も私のことを引き受けようなんてしなかったのに夫は籍を入れてくれた。私の母が結婚の挨拶に来た夫に、「返品不可です」と釘を刺したのもうなずける。まるでヤクザが無理やり売りつける鉢植えのような扱いで、私は夫のもとに納品された。