ただ、親にしてみれば、体を動かす機会が減っていることは認識しているし、だからこそ習い事をさせたいと願っている。問題は、現実的にそれができる家と、できない家とに分かれることだろう。

 親の多忙さに加え、習い事にかかる経済的負担も大きい。民間のスポーツクラブで習い事をさせようとすれば、1種目につき月1万円前後かかる。これに交通費、用具代、合宿代等を含めれば、週3回習い事をやるだけで月平均3~4万円はかかるだろう。子どもが3人いれば月10万円以上だ。これを支払える家庭はそう多くはないはずだ。

 それでも親たちは経済的、時間的な負担を負ってでも子どもに習い事をさせたり、お金はなくても休日にどこかへ連れて行って遊んであげたりしている。

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 子どもの運動能力が下がっているという事実があるかもしれないが、こういった親の地道な努力があるからこそ、子どもの運動能力の低下を今のレベルになんとか維持できているという見方もできるのではないだろうか。

限定されたスポーツ体験

 かつてスポーツは、習い事というより、自由な遊びの中で覚えるものだった。

「草野球」という言葉があるように、昭和世代の人たちは友達との遊びの中で野球を覚えたという人も少なくないだろう。公園や路上でするサッカーやバスケットボールも同じだ。

写真はイメージ ©getty

 だが、放課後の遊びの消滅と共に、そうした機会も失われた。校長(関東、50代男性)によれば、これで起きたのが、“スポーツ種目の分断”だという。

「今の子を見ていて思うのは、限定されたスポーツしかできない子が多いということです。自分がやっているスポーツは大好きだし、興味もあるけど、それ以外は見向きもしない子が増えているのです。だから、休み時間や放課後に体を動かそうとすると、自然とメンバーが固定化します」

 校長は次のような体験を教えてくれた。

 ある日の放課後、少年野球をしている子たちが校庭に数人集まり、ソフト(軟式)テニスのボールを使って野球をしようとしていた。校長が「周りに気を付けてやりなさいよ」と声をかけると、彼らは人数が足りなくて困っていると言った。

 その時、たまたまサッカーの上手な子が目の前を通りがかった。卒業後はサッカーの名門中学へ行くのではないかと噂されている子だった。校長は彼を呼び止め、野球をやらないかと誘った。

 ところが、実際にはじめてみると、その子はグラブのつけ方も、バットの持ち方もわからなかった。さらには、ボールを前に投げることすらできない。聞くと、野球のやり方をまったく知らないという。

 校長は仕方なく「それなら、みんなでソフトテニスをしようか」と提案した。だが、サッカーの上手な子も、少年野球をしている子たちも、テニスを見たことすらないと言った。