この山奥のどこかに「お城」があるかと思いきや…
千早赤阪村の山の中にあった赤坂城や千早城。その城というのは、一般的にイメージされるような天守閣を持っている類いとはまったく違う。最低限の設備を有するだけの砦のようなものだったという。
そして、長年金剛山地を庭として暮らしてきた正成らにとっては、山に不慣れな幕府軍をいなして大軍を釘付けにすることくらいはお茶の子さいさいだったのではないか。少なくとも、村の中心から山の上を見上げれば、そうそう容易に落とせる城ではなかろうということが実感できる。
この村は、いまもほとんどが山の中だ。その北西の端っこのなだらかな傾斜地が中心地。どことなく手作り感満載の道の駅から国道309号を歩いて東に行けば、建水分神社という由緒あるお社が鎮座する。
本殿が重要文化財というこの神社の周囲には、鳥居前町というべきか、小さな集落が広がる。飲食店の類いもあるから、観光シーズンには行楽客で賑わうのかもしれない。
そこから再び国道を歩いて下ってゆく。山の傾斜地に広がる村だから、ところどころの田んぼはそのすべてがいわゆる棚田だ。下赤阪の棚田という、日本の棚田百選にも数えられる棚田が有名らしいが、それでなくても棚田だらけ。見上げる棚田も、そこから見下ろす棚田も、日本人にとっての原風景といっていい。
見晴らしの良い棚田の合間から見渡す“700年前から見えたもの”
そんなところを歩いて抜けて千早川沿いに出れば、歴史のありそうな入り組んだ路地のような住宅密集地があったり、立派なお寺があったり。川沿いには古い廃旅館もある。金剛山登山の拠点にもなりそうなこの村には、山登りを控えて宿をとる人も少なからずいたのだろう。
見晴らしのいい棚田の合間に立って周囲を見渡すと、東には山の上に開けたレジャー施設・ワールド牧場が見えるし、西には富田林、そして遠くは大阪の市街地がうっすらと浮かぶ。
もっと空気が澄んだ季節なら、あべのハルカスくらいは見えるのかもしれない。少なくとも正成の時代には、山の上から古市・道明寺の古墳群くらいは見下ろすことができたに違いない。