コンビニもない人口約4800人の村の「大河ドラマ」
千早赤阪村は、1956年に千早村と赤阪村が合併して誕生した。以来、ずっと単独で村のまま。最近には富田林市や河内長野市との合併が取り沙汰されたこともあるが、いまのところ実現せず、大阪唯一の村という立場を守っている。
人口は4800人ほどで、もちろん大阪府下最小だ。一時期は7000人台後半にまで増えたことがあるが、近年は減少傾向。このあたりは、村に限らず日本全国共通するお話である。村のほとんどが金剛山地の山の中ということから、よほどの開発が行われない限りは人口の大きな増減はあまり想定できないのかもしれない。
ちなみに、この村にはコンビニがひとつもないという。だから、村の人々が日用品の買物をしようと思っても、わざわざクルマで富田林市内などに出なければならない。多くの山間集落に共通している悩みなのだろうが、そういう意味でも富田林駅前と村を結ぶ路線バスは、村にとっての命綱なのだ。
ともあれ、千早赤阪村である。実際の村域はめちゃめちゃ広く、そのほぼすべてが山だ。市街地は、北の端のごくわずか。そこにお寺や神社、そして楠木正成の生誕地までが揃っている。よくよく見ると、マンホールにも楠木正成。そして、町中には「楠木正成を大河ドラマに」といったポスターもあった。
楠木正成が大河ドラマになれば、だいぶ物語としては『太平記』と重なるところが多い。が、主人公を入れ替えながら年がら年中戦国時代をやっていることを思えば、さしたる問題もなかろう。
『太平記』の時代が大河ドラマで描かれたのはこの作品だけだ。それからもう30年以上がたった。だから、そろそろ楠木正成が主人公の大河ドラマを見てみたい。のどかな棚田と古い集落が入り組んだ千早赤阪村を歩いていると、そんな気持ちにさせられた。
写真=鼠入昌史