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手交が遅れた最後通牒。駐米大使は「理由は存じません」と…

 ハルはこの間に、日本が真珠湾を攻撃したという報らせを、大統領からじかに聞かされたのである。ハルの『回想録』によると、その声は「乱れてはいなかったが、早口であった」と記されている。ハルが「その報告は間違いないんですか、確認ずみですか」と聞くと、ルーズベルトは「ノー」といったが、報告はおそらく事実であろう、と2人は信じた。ハルが、野村と来栖が来て待っているところだと告げると、大統領はいった。

「じゃ、2人に会い給え。ただし真珠湾のことはおくびにもだすな。鄭重(ていちょう)に覚書を受けとって、冷ややかに追い返せ」

閉められたドア(画像はイメージです)

 午後2時20分、日本の両大使は、ショックをやっと抑えている国務長官に会うことができた。ハルは握手の手を差出すこともせず、立ったままである。椅子に坐れともいわなかった。このあとの応接についてはよく知られている。

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「午後1時に手渡すように、との訓令を受けていたのですが、電報の翻訳に手間どって遅くなりました」と野村が弁解するようにいい、覚書を手渡した。ハルはきたないものでも読むように指先でつまんで、ページを繰った。内容は読まないでもわかっている。そして詰問(きつもん)するようにいった。「なぜ、これを午後1時に私に渡さなくてはならなかったのですか」。「理由は存じません」と野村は正直に答える。

 そしてこのあと、覚書の最後まで読むふりをするかのように大急ぎで視線を走らせて、ハルは怒りで声を震わせながらいった、というのである。

「これほど恥知らずで、虚偽と歪曲にみちた文書に接したことがない」

「はっきり申しあげるが、過去9カ月にわたるあなた方との話し合いのすべてを通じて、私はただの一言も噓をついたことがない。そのことは記録をみれば明白である。私は50年も公職についているが、これほど恥知らずで、虚偽と歪曲にみちた文書に接したことがない。これほど大がかりな噓とこじつけとを公然と口にしてはばからない国が、この地球上に存在するとは、今日まで夢想だにしなかった」