翻訳によっていくらかはニュアンスが異なってくるであろうが、外交史上に前例のない乱暴な言葉で、両大使を罵倒したことは確かである。しかも野村が何かいおうとして身をよじったとき、ハルは手をふり、無愛想に顎をしゃくってドアを差した。ハルは書く。
「2人の大使は黙って頭をたれたまま出ていった」
2人が出ていくと、ドアを閉めながらハルはテネシー訛りで罵った。
「くそ野郎、しょんべん蟻め!」
いや、ハルの書く別れの儀式はかならずしも正しくはなかった。野村はとくに「アデュー」という言葉を使って別れを告げた。握手もしている。来栖は「グッド・バイ」といった。何も知らない2人は、外交官らしく紳士的に別れの挨拶を忘れてはいなかった。
88年間の日米国交にピリオドが打たれた瞬間
グッド・バイ――まさに9カ月間にわたってつづけられた会談に、それは大使と大統領とが9回、ハル長官との話し合いは44回、その間にウェルズ国務次官と8回と、それらすべてに空しく別れを告げたとき。いや、過去88年にわたった日米国交にピリオドを打った一瞬となった。それは結局、日本は無警告で戦争を開始した無法の国という汚名を残して。
しかし、よくよく考えれば、交渉打切り通告であろうと、開戦通告であろうと、どちらでも同じであったように思われる。せめぎ合いの最後においては、相手の意思はすべて了解ずみであり、形式に関係がない。と同様に、かりに手交が間に合ったとしても、別の理由づけで、アメリカ側は日本の攻撃を罵ったことであろう。遠慮なくハルは、すぐに両大使に浴びせた「悪罵」を新聞に発表している。
野村と来栖とが、ハルの罵倒の意味するところを知ったのは、大使館に戻ってからである。ホワイト・ハウスから発表された「日本軍の真珠湾攻撃」のニュースを、待ちうけた井口(注:貞夫。駐米日本大使館参事官)から聞かされたときになる。野村は沈痛な面持ちで一言、「そうか」といっただけであった。